数字の記憶術

2018年02月25日18:23

私は以前から記憶術に関心があり、
10個程度の単語なら、イメージを使って
簡単に覚えることができます。

ただ、以前からやろうと思っていたのですが、
実際にはなかなかできなかったものに、
数字の連想記憶術があります。
例えば、15ならイチゴ、
16ならイチローというように、
1~100までのすべての数字に単語を関連づけ、
それをすべて覚えておけば、
10~20桁くらいの数字であれば簡単に
覚えることができるという方法です。

例えば、94176542であれば、
「94」は串、「17」はイナゴ、
「65」はムツゴロー、「42」はシーツと
覚えているので、
「串」に「イナゴ」を通し、
それをムツゴローさんが食べながら、
シーツを体に巻き付けている
イメージを描けば、
94176542という数字は
簡単に覚えられます。

1~100の単語表は
自分独自のものを作ればよいのですが、
それが瞬時に出てくるように
覚えておく必要はあります。

今年になってようやく自分独自の単語表を作り
それを全部覚えました。

私の場合、毎朝スクワットを150回しているので、
そのときに「1,2,3‥」と数えながら、
それぞれの数字に関連づけた単語を
思い浮かべるという作業をすることで、
毎日復習をしています。

これを覚えておくと、色々な場面で役に立ちます。
私は、毎日朝起きた時間と
その日の体重を記録しているのですが、
その場では記録をしないので
覚えておくしかありません。

例えば、朝3時37分に起き、
シャワーを浴びたあとに体重を量ったら
64.7kgだったとしましょう。
その場合は「37」は「サナダムシ」、
「47」は「竹刀」なので、
サナダムシを竹刀で叩いているイメージを
頭に焼き付けたら、それで記憶できます。

病院に行き、適当なときに手帳に
起床時間と体重を記録するのですが、
簡単に思い出せます。

あとは映画を見る際、
インターネット予約をすることが多いのですが、
チケットの発券の際に必要な
4桁の予約番号が示されます。
これなどもすぐに覚えらます。

念のため手帳に予約番号をメモしていますが、
そのときに覚えてしまうので、
発券の際も、敢えてメモを見る必要がありません。

私にとっては、
これは手ごろな頭の体操になっています。
皆さんも独自の単語表を作り、
数字の記憶に挑戦してみてはいかがでしょうか。



医療の常識は変わる

2018年01月26日06:14

私は、この世の中には
「絶対に正しい」ということもなければ、
「絶対に間違っている」ということもないと
思っています。

西洋医学の治療法や考え方も
私が医者になった頃に比べると
ずいぶんと変わりました。

その最たるものが消毒に対する考え方です。
昔は傷口の消毒やガーゼ交換は
毎日するというのが常識でした。
しかし、今はそれが意味のないどころか
かえって逆効果になるということで
傷口や手術後の傷跡に対する消毒は
しないようになってきています。

また、一般の手術室に入るのも
昔は靴下や履き物は
すべて清潔なものに換えてから
手術室に入っていましたが、
今は外履きのままでOKです
靴を履き替えることの意味が無いことが
わかったからです。

心肺蘇生の現実を見ても
昔と今ではずいぶんと変わりました。
私が医者になった頃は、
心臓が止まりかけたら
必ず心臓マッサージ(ちなみにこれも、
「胸骨圧迫」という名称に変わりました)などの
心肺蘇生をするのが常識でした。

末期がんであろうが、
高齢で衰弱死しそうな患者さんであろうが、
全く意味がないとわかっていながらも
心臓マッサージをするものでした。

昔は、死=敗北でしたし、
一秒でも長く生かすことが
医学の使命だと思われていたので
蘇生の可能性がないとわかっていても、
形式的にでも必ず
心臓マッサージをしていたのです。

それが今では、末期がんの最後のときに
心臓マッサージをすることは
ほとんどなくなりました。
もっとも、事前に本人や家族から
そのようなことはしないという同意を
得るようになったこともありますが、
それ自体が大きな変化と言えます。

このように医療の常識は
どんどん変わっていきます。
常識とは「正しいこと」ではなく、
多くの人が「正しいと思い込んでいること」
であるにすぎません。

もちろんこれは、
医療の世界だけのことではありません。
一般の人たちが信頼している医療ですら、
常識は変わるのですから、
世の中のすべてのことは、
時間の経過や時と場所、文化によって
常識は変わるものだということを、
また常識は非常識に変わるものだということを
私たちはしっかりと
認識しておく必要があると私は思っています。


テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

5時からセミナー

2017年12月27日17:08

先週末の23日、24日に
意志力、集中力、習慣力を学び、身につける
ホリスティックコミュニケーション発展セミナーを
京都で開催、無事終了しました。

今年の9月24日のシンポジウム終了後からの3ヶ月間を
すべてこのセミナーの準備に当てたと言っても
過言ではないくらい、
時間とエネルギーを注いだセミナーでした。

アンケートを見る限り参加者の皆さんにも
十分に満足して頂けたようなので、
今年最後の大仕事を終えた気分で、
今はホッとしてこのブログを書いています。

内容に関しては、今後時期を見て
ブログでもお伝えするとして、
今日は「5時からセミナー」について
少々書いておきたいと思います。

「5時からセミナー」とは、
セミナー修了後の飲み会のことです。
本セミナーに勝るとも劣らず、
色々な意味で学ぶことが多い(?)という意味で、
敢えて飲み会を「セミナー」と呼んでいます。

参加した人ならば
その雰囲気がわかると思いますが、
とにかく楽しく明るく盛り上がります。
皆さん、30~50歳代の人がほとんどですが、
盛り上がり方は学生時代そのものです。

今回は総勢17名でしたが、
関東からも7人参加して下さいました。
終了したのが22時でしたので、
延々5時間飲んでいました。

本セミナーは実質5時間半くらいですので、
それとほぼ同じくらいの時間を
飲んでいたことになります。

現在、東京と京都で実践セミナーを開催しており、
そこでも毎回土曜の夜には
5時からセミナーをやっています。

特に京都でやる5時からセミナーはかなり盛り上がるので、
今回関東から来た人たちは、
関西の5時からセミナーへの参加は初めてだった人も多く、
その盛り上がり方にびっくりしていました。
そうは言っても、今回はまだ穏やか?な方でしたが…

とにかく、最初から最後まで
ずっと笑っている感じですし、
ビールも中ジョッキに換算して
みんなで40杯くらい飲みました。
それ以外にもたくさん飲むので、
記憶をなくす人も私を含め何人かいました。

東京での5時からセミナーでは
私は比較的静かにしていることが多いのですが、
京都の5時からセミナーだと、ついはじけてしまうため
始めて参加した人からはいつも、
「すごい先生だと思っていましたが、
5時らセミナーで酔っ払いおじさんぶりが
半端ではなく、そのギャップに驚きました」
といった感想がしばしば聞かれます。

今回も、関東から来られた方々に、
「京都での先生の崩れ具合は、東京と桁が違う!」
と言われてしまいました。
私にとっては、これが普通であり、
東京での私は、ちょっとよそ行きなのですが…

私はみんなと一緒に飲んで、
ワイワイするのが大好きなので、
毎回、とても楽しんでいますが、
しばしば後半は
「記憶にございません」状態になります。

今回もそうだったようで、
どうも抱きかかえられながら
駅まで連れて行ってもらい、
そのまま電車に放り込まれたそうですが、
そんなことは全く覚えていません。

皆さんが心配する中、一人で帰るのですが、
毎回、断片的な記憶しかないものの、
帰巣本能というか、酔っぱらっていても
家にはちゃんと辿り着き、
朝目が覚めると、
いつも通り、家の布団で寝ています。

それでも二日酔いになることはめったになく
次の日もたいていは5時台には起き、
セミナーも普通にこなします。

私はお酒が入ると、とても楽しくなり、おしゃべりになります
(普段は無口だと言っても、あまり信じてもらえません)
途中からあまり覚えてはいないのですが、
酔っぱらうと、結構良いことを言うみたいで、
次の日に「先生の、あの一言には目からウロコでした!」
なんていう感想もしばしばありますが、
言った当の本人は、
言ったことすら覚えていないというのが常です。

でも、酔っぱらうと意識レベルの抑制が緩み、
思考回路が縦横無尽につながり始めるのか、
様々な発想が自由奔放に出てくるのは事実です。
その分、良いアイデアが出て来やすいし、
気の利いたことを言ったりするのだと思います。

ただ、人間の性というか、本能というのか、
盛り上がってくると決まって異性の話になります。
独身女性も多いせいか、
どうやったら彼氏と出会えるのかとか、
どうやったら結婚できるのかといったことについて、
話が盛り上がるのも毎回のことです。

もちろん、既婚の方々には
どうやって知り合ったのかといった質問も多く、
私もしばしば聞かれます。

そんな話の延長線上か、酔いが回ってくると、
だんだん話が下の方に向かっていくのですが、
テンションは、それとは逆にどんどん盛り上がっていきます。
これが人間ですよね。男性も女性も。

でもたまには、思いっきりしゃべって、思いっきり笑って
若い頃の楽しかった時代のようにはしゃぐのも
よいのではないでしょうか。

みなさんも、ぜひ、セミナーを受講された際には
5時からセミナーにも参加してみてくださいね。


理想論は嫌いだ!

2017年11月29日05:49

私は理想論やきれい事を言う人を
どうしても好きになれません。

心療内科や緩和ケアの分野でもそうですが、
教科書に書いてあるような
理想論やきれい事は
実際には全く役に立たないことが
しばしばあると感じているからです。

もっとも典型的な理想論は、
「前向きな気持ちを持つ」、
つまり「ポジティブシンキング」です。
もともと前向きな人は、
当然、ポジティブシンキングで生きています。
辛いことや苦しいこと、困難なことがあっても、
何とかしてそれを乗り越えることはできます。

しかし、それは「前向きな気持ち」を
持っている人に言えることであり、
心配性の人や自分に自信のない人、
ネガティブ思考のひとは、
当然のことながら、
前向きな気持ちなど持てません。

それをあたかも
「前向きな気持ち」を持てるように
なるべきだと言わんばかりに、
その大切さをやたらと語る人がいます。

このような人は、多分
現実が全くわかっていないのか、
「前向き」教の信者さんなのではないかと
疑ってしまいます。

大切なのは、
「前向きな気持ちを持て」と言うことではなく、
どうしたらそのようなものの考え方が
できるようになるのかを
教えてあげることだと思うのです。

「感謝の気持ちを持て」というのも同様です。
ありがたいと思えることには誰だって
感謝の気持ちを持つことができるでしょうが、
嫌だったり不快だったりすることに対しても
感謝が大切だなどと言われると、
この人は現実離れしている人だなと
思ってしまうのです。

もちろん、感謝の気持ちを持つことが
大切だということは百も承知ですし、
私だってそう思っています。

ただし、そのことと、
何事に対しても感謝の気持ちを持って
日々を生きていけるということとは
全くの別問題なのです。

いくら「前向き」だの「感謝」だの
理想論を掲げても、
それが実際にできるか否かは
全く次元の違う話なのです。

つまり、できない理想論を掲げ、
それを実行しろと言うのは、
実現不可能なことをしろと
言っているようなものであり、
そんなことを言っても
できないと思っている人にとっては
よりネガティブな気持ちになるのが関の山です。

できない人に対しては、
とにかくやれと言うのではなく、
「そう簡単にできることではないので、
今はできなくてもいいよ」と
言ってあげるところから出発しないと、
人は変わらないのです。

人が変わるためには、
無意識レベルに影響を及ぼす多くの経験と
思い込みに変化をもたらす
知識の積み重ね必要であり、
その上で適切な時期やタイミングで
「きっかけ」となることがあってこそ
初めて人は変わるのです。

そのような準備ができていないときに、
いくら前向きな気持ちが大切だの、
感謝が大切だのと言われても、
反発心が湧き上がってくるだけなのです。

ここが机上の空論である理想論やきれい事と
実際に人とかかわるときの違いです。
人間は心を持った生き物であり、
機械やロボットではありません。
「感謝」と入力すれば、
感謝ができるというわけではないのです。

「今は無理に感謝の気持ちを持つ必要はない」と
言ってあげることにより、人は気持ちが楽になり、
だからこそ、何かのきっかけで感謝の気持ちに
目が向く可能性が高くなるというものです。

こうすべきだと言われても人は変わりませが、
「北風と太陽」の話しのように、
相手が自ずと目指すべき方向に動き出すためには
どうしたらよいかという視点で
物事は考えていく必要があるのです。

理想論を言っている人は、
そのあたりが理解できていないのではないかと
私はいつも思ってしまうのです。


テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体

答はその人の中にあるって本当?

2017年10月30日15:21

悩みや問題を抱えている人が
どうしたらよいのか
わからない状態に陥っているとき、
よく人は、答はその人が中にあるとか、
その人が知っているとか言われます。

そのため傾聴を中心とした
かかわりをするカウンセラーは、
あまり余計なことは言わず、ひたすら聴き続け、
その人が、自分の答えに気づくのを待ちます。

それで気づく場合もあるとは思いますが、
私は「答はその人の中にある」という考え方自体に
少しばかり疑問を持っています。
まあ、4割はそうかもしれませんが、
6割は違うなといった感じです。

人は悩みや問題の解決方法を見つけるために、
無意識や潜在意識の力を借ります。
そこには、意識には上ってこない
知識や経験によって積み上げられた
膨大な量の情報が蓄積されています。

私たちの脳は、これらの情報に目を向け
問題解決にふさわしい対応策やアイデアを
見つけ出すという作業をしているのです。
その意味では
答はその人の中にあるというのは正解だと思います。

しかし、無意識の中にある情報に
目を向けるという作業は
何かの刺激やきっかけがないと
実際にはなかなかできません。

例えば、気づきを促すような質問だとか、
それはいい!と思えるような提案だとか、
そのような「きっかけ」があって初めて人は、
問題解決の糸口に気づくことができるのです。

つまり、自分の中に答があると言っても、
それが意識に上がってきて初めて
「気づき」が生まれるわけであり、
無意識の中にとどまっていて、
それに気づかない限り、
答は存在しないというのと一緒なのです。

そういう意味では、
その人の中に答があると言い張るのは、
ちょっと言い過ぎかなとも思うのです。

さらに、気づきの中には
無意識の中にあるいくつかの情報を
うまく組み合わせて、昇華させることで
今までになかったよりよいアイデアや
解決策が生まれるということもあります。

また、同じことでも違った見方をすることで
全く新しい発見になることもあります。
例えば、人前に出るといつも不安を感じ、
ドキドキしてしまう人に、
誰かが、それは不安ではなく、
興奮してワクワクしているだけなんだと
教えられたとしましょう。

その考え方を受け入れることができたなら、
その人の不安感は一気に和らぎます。
つまり、物事をどのように解釈するかにより
問題が問題ではなくなることもしばしばです。

このような新しい解釈や
自分にとって都合のよりストーリーというのは
本を読んだり誰かに言われたりして
気づくという場合がほとんどです。

海外に行ったことがない人が
海外に初めて行き、その文化の違いに
驚くのと一緒で、
知らないことは誰かに教えてもらうとか
新たに経験することがない限り、
気づいたり発見したりすることなどできないのです。

つまり、問題解決の答えを見つけるための
材料はあったとしても、
そこに新たな「何か」に接することで
初めてうまい解決策に辿り着くという場合だって
あるわけです。

このようなケースでは
その「何か」がない限り、
決して答には辿り着けないわけなので、
その意味でも、自分の中に答がすべてあるとは
言えないのではないのでしょうか。

皆さんはどうおもわれますか。


テーマ : カウンセラーやセラピストのお仕事
ジャンル : 心と身体


プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://kuromarutakaharu.com

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