苦痛を取り除くことは、よいことなのか?

2013年07月23日15:01

今、40代の脳腫瘍の女性が入院している。
入院当初は、まだ何とかしゃべれたが、
病状が進むにつれ、次第に意思疎通ができなくなってきた。

その彼女の看病のため、年老いた両親は毎日病院に来る。
最初は、食事も何とか食べてくれていたので、
それを少しずつ食べさせてあげるのが楽しみだった。
「今日は、全部食べてくれました」と、
父親が笑顔で報告してくれるのを聞くたびに
こちらも、心が和んでいた。

昔はとっても厳しくこわかった父親だったそうだ。
彼女に食事を食べさせている光景を見る限り、
とてもそんなようには思えないが、
彼女が脳腫瘍だとわかってから父親はがらっと変わり、
とても優しくなったという。

次第に、病状が悪化して行くにつれ、
食事も取れなくなり、会話も成り立たなくなってきた。
脳の障害があるため、言いたいことがあっても、
違った言葉が出てきたり、同じ言葉のくり返しになったりもするのだ。
そのため、何が言いたいのかがよく分からないことも多い。

そんな彼女が、時々しんどそうにして、うめき声を発する。
すると母親は、すぐさま彼女の胸を撫で始める。
「こうすると、楽になるのか、うめき声が止まるんです」
うれしそうに、そう言いながら、小さくやせ衰えた手で、
彼女の胸の上にて手を置き、ゆっくりと円を描くように撫でていた。

もともと脚の方にも痛みがあったため、
痛み止めの皮下注射を持続的に行っていた。
彼女が「痛い」「痛い」というたびに、
私たちは、痛み止めの量を増やして調整しようと思うのだが、
両親は、あまりそれには積極的ではなかった。

「痛い」と言っていても、こうして撫でていると
すやすや眠っていくんです。
そんなことを言いながら、母親はいつも彼女の手足をさすっていた。

痛み止めの量を増やすことへに抵抗がある患者さんや家族は多い。
しかし実際には痛み止めを増やすことで、痛みが楽になることの方が
患者さんにとっても、それを見ている家族にとっても
よいに決まっていると、それまでは思っていた。
しかしそれは、自分の勝手な思いこみであると、
この両親に出会って気づいた。

彼女の病状が進行し、意識レベルが次第に低下するにつれ
ほとんど苦痛を訴えることはなくなってきた。
私はこれで患者さんが苦しむことがなくなったので、よかったと思っていたが、
娘の傍らに佇んで、寂しそうに彼女を見つめる母親の姿を見て
必ずしも、今の状態がいいとは言えないかもしれないと思うようになったのだ。

今までは、彼女がしんどそうにしていると、すぐさま両親が
彼女の傍でずっと体を撫でてあげた。
そうすると、いつの間にか、安心したようにウトウトし始める。
会話が成り立たなくても、これで親子の交流は成り立っていたのだ。

ところが、その訴えがなくなってしまったのだ。
体を撫でることは、今でもよくしているが、
両親のその姿は、どこか寂しそうだ。
「前みたいに、痛いって言わなくなったのはよかったんですが、
でも、何も言ってくれないのも、すごく寂しいですね」
この母親の言葉が、すべてを物語っているように思えた。
(2009.8.28のブログより再録)
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ジャンル : 心と身体

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プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://holicommu.web.fc2.com

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