治る医療と治さない医療

2009年10月09日07:46

以前は治る医療に強い関心を持っていた。
治す医療ではなく、治る医療だ。
もちろん今もその思いは変わらない。
しかしその一方で、
最近は治さない医療にも心が惹かれる。
こちらは治らない医療ではなく、治さない医療だ。

もともとがんの自然治癒に関心を持っていたが、
その根底にあるのが心の治癒力の存在だ。
いかにして心の治癒力をうまく引きだすか、
それが私のテーマでもある。

心の治癒力がうまく発揮できれば、
がんという病気ですらよくなることがある。
つまり病気は自ずと治りうるものなのだ。
もちろん心だけですべてが解決するわけではない。
食事や運動、治療、代替療法など
様々な要因がそこには関与する。
しかしその根底にあるのはやはり
心の治癒力だと思っている。

しかしその一方で、どう考えても、いつかは人は死ぬ。
これは自明の理だ。
そうであればやはり治るということにも限界がある。
そんなことは頭では十分にわかっている。
しかし目の前の患者さんを診ていると
どうしても「治る」ということに関心が向く。

ところがこの7年間、緩和医療に携わっていたせいか、
はたまた50歳を超えたせいなのかわからないが、
死ぬという、誰もが必ず経験するこの事実に
思いを馳せ巡らせることが多くなった。

死んだらもうお終いと考えれば、
一日でも長く生き続けたいと思うのだろうが、
死んだ後も生き続けると思えば、
それ程までの生への執着はなくなる。

患者さんに、最後のときをどのように過ごさせてあげるかは、
緩和医療医にとって大切なテーマであるが、
すべての人が死の事実を受け入れているわけでもなければ
死んだ後も生き続けるということを信じているわけでもない。
当然のことながら、一人ひとりその思いは異なるわけだ。

どのような患者さんにせよ、
その人の気持ちに寄り添った関わりをしていくことが大切だ。
治ることに執着し続ける患者さんには、
治療的関わりを続けてあげればよい。
最後まで代替医療をするのもよいではないか。
そんな生への執着を持ち続けながらも、
その時期が来れば、自然と亡くなる。
その人が本来持っている「治る」力がなくなれば
自ずとやってくる帰着点だ。
執着しようがしまいが、どちらでもよい。
自ずと最後はやってくる。
それでよいではないか。

もっとも、治ることへの希望を持ち続けている人でも、
状況の変化に伴って、その思いは変わっていく人も多い。
身体はだんだん衰え、食事はほとんど入らなくなる。
そんな現実を見ていれば、
次第に現実を受け入れざるを得なくなっていくのだ。
それは、徐々に生への執着を手放していくことを意味している。
それもよいではないか。

その一方で、自分の死を十分に理解し、
それを受け入れている人も少なくない。
そんな患者さんは、できるだけ自然の流れの中で
見守ってあげればよい。
余計なことはしなくてもいいのだ。
ただ苦痛だけは取って欲しいと言われるので、
それは叶えてあげる。当然のことだ。
治さない医療が最も得意とするところだ。

治る医療と治さない医療。
そこには、患者さん一人ひとりが持っている
本来の力を大切にし、
それにとことん寄り添っていこうという思いが
根底に流れている。

時には治す医療も必要だ。
それも十分にわかっている。
しかし治す医療を主体にしてしまうと、
どうしても治療者側の思いが中心になってしまう。
それをよしとする患者さんにとっては、それもよかろう。

しかし私は、治す医療よりもやはり治る医療の方が好きだ。
あくまでも主体を患者さんに置き、
こちらはそれをサポートするという関わりだ。
でも、必要に応じて時々治す医療も行う。
そして、いよいよという時期が近づいてきたならば
今度は治さない医療を主体にしていく。
自然の流れに身を任せながら、
ゆらりゆらりとしながらあの世へ旅立ってもらう。
そんな医療が私は好きだ。
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プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://holicommu.web.fc2.com

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