患者さん思いに寄り添うことの是非

2011年06月20日19:47

先日、ある食道がんの患者さんが亡くなりました。
前の病院で、これ以上の治療は困難との判断のもと
当院の緩和ケア病棟に入院された患者さんでした。
しかし本人も家族も、まだあきらめてはいませんでした。

病状がどうであれ、本人や家族が治療に対する期待感を強く持っている限り、
私はできる限り治療的かかわりを持つことにしています。
そうは言っても、当然のことながら手術や抗がん剤はできません。
では何をするのか、それは代替療法です。
この患者さんの場合は丸山ワクチンとビタミンCの大量療法を始めました。
それ以外にも本人は健康食品を摂っていました。

入院当初はまだ比較的元気でしたので、みんな大きな期待感を持っていました。
「CTを撮って下さい、どれくらいがんが小さくなっているのか知りたいので」
この言葉からもわかるように、これだけの治療をしているのだから
よくなるのが当たり前だという思いがこの家族にはありました。

もちろん現実はそう甘いものではありません。
要望通りCTを撮ったところ、がんは以前より少し増大していました。
こんなに一生懸命治療をしているのに、
どうしてよくならないのかとたずねられた時には、
少々返答に困ってしまいました。

「患者さんの体力や生命力、自己治癒力が一番大切なので、
それらが十分に力を発揮できる状態でないと、
治療にもあまり反応してくれないのかもしれませんね」
そんな説明をその時にはしました。

本人は次第に食事が入らなくなってきました。
食事が入らなければ、がんと闘う力も衰えてくることはよくわかっていたので
家族は必死になって食事を食べさせようとしていました。
しかし食べられない食事を、無理に食べさせられるのは辛いものです。
「誤嚥の心配もあるので、本人のペースで食べてもらってください」
そう言ったのですが、食事の絶対量が少ないことを家族はひどく心配し、
「先生、食べられないのであれば、普通の点滴でではなくて
もっと栄養のある点滴して下さい」
家族は私に、そう懇願してきました。

現在の病状を見るにつけ、これ以上の点滴をすることに
私はあまり気が進みませんでした。
しかし本人も点滴を希望していたため、鎖骨下にある太い血管から
高カロリーの点滴を開始することにしました。

その一方で、痛みや吐き気といった症状もあったため、
それに対してもモルヒネなどの薬剤でコントロールしていました。
しかしながら痛みのコントロールがなかなか上手くいかず、
薬の量もずいぶんと増えていってしまいました。

ただ、本人の希望することは可能な限り受け入れました。
神経ブロック、食道拡張術、前医へのセカンドオピニオン?など
次から次へと要望が出されました。

あるとき、たまたまテレビで紹介された東京の名医を見て、
家族はすぐさまその病院に連絡し、
早速行くつもりになり、紹介状を書いてくれと言ってきました。
本人が東京まで行けるわけがなく、そのよう名医であれば
関西にもたくさんいるのでそちらを紹介しますと言いました。
それでも妻は一人でもいいから東京へ行きたいと言っていましたが
患者本人が行かなくてもよいと言ってくれたので、
結局、この話はなくなりました。

その後もがんを何とかしたいという家族の思いは変わらず、
前医からは危険だからできないと言われた放射線療法も、
死んでもいいからやってほしいとのことだったので、
放射線科の医師と相談し、やることにしました。
放射線科の先生からも危険性が高いことや
がんを治すことはできないという説明を受けたのですが、
とにかくやってもらいたいという思いが強く、
説明の内容はあまり理解されていないようでした。

その後も病状はさらに悪化、血圧も60台にまで低下してきました。
そのため放射線療法も途中で中止せざるを得ませんでした。
また、意識もややもうろうとなっており、そのせいか
鎖骨下に入っていた点滴のチューブを夜間に勝手に抜いてしまいました。
このような状態の患者さんに高カロリーの点滴を続けることは、
かえって身体の負担になると考えていた私は、
これは高カロリーの点滴をやめるよいチャンスだと内心喜びました。

ところが家族は、栄養を入れなければ死んでしまう!と思っていたため
再度、太い血管からの点滴をして欲しいと言ってきたのです。
ここは家族と話し合う必要があると考え、
最終的な妥協案として、200カロリー程度の点滴を
持続的に皮下からするということでこの問題は一段落つきました。

いよいよ意識も低下し、ほとんど血圧も測れない状態になった段階で、
今度は、家に帰してあげたいと言い始めたのです。
この状況で家に帰すことは物理的には不可能ではありませんが、
点滴の管理などで家族がひどく困ることは目に見えていました。
第一、亡くなったときに誰が死亡確認をするかが決まっていないと、
結局、また病院に連れてくるか、検死になってしまうことになるのです。
ですから、往診の医者の確保や訪問看護の手配などの準備がすべて整うまでは
退院してもらうわけにはいきませんと話しました。
そんな話しをすると、さすがに帰るのは困難だと思ったのでしょう、
それからは帰りたいとは言わなくなりました。
その後はずっと患者さんの傍にいて、
手を握ったり、感謝の言葉をかけたりしていました。

それから数日後、この患者さんは静かに天に召されていきました。
呼吸が止まったとき、
早く心臓マッサージをしてほしいと言ってくるのではと思っていましたが
思いのほか家族の反応は穏やかでした。
帰る際も、本当にお世話になり、ありがとうございましたと、
感謝の言葉を口にして病院をあとにしていきました。
最後の最後で現実を受け入れてくれたんだなと思えた瞬間でした。

このような患者さんは時々います。
特に代替療法に熱心な患者さんに多く見られます。
それだけ何とかがんばりたいという思いで必死なのです。
その思いは大切にしたいと思いながらも、
その一方で、あまり無理はしたくないという気持ちも私にはあります。
どこまでは患者さんや家族の意向により沿い、
どこまではある程度の軌道修正を求めるかは、
まさにケースバイケースといったところです。

患者さんは、状態が悪くなるにつれ、
もうここらでよしとしようという思いを持つことができるものですが、
家族の方はなかなかそうは思えません。
患者さんが嫌だと言っても、無理矢理にでも何かしたいと思うのです。
そんな時、気の毒なのは患者です。
ですから、そんなときは少し軌道修正をしてもらえるように家族と話しをします。

患者さんや家族の思いに寄り添うことは大切ですが、
ある時点で、多少の軌道修正を促すことのも大切であることを
この患者さんを通して再認識させられた気がしました。
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テーマ : 気付き・・・そして学び
ジャンル : 心と身体

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プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://holicommu.web.fc2.com

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