自分の死を受け入いれるために

2011年01月28日07:12

先日、看護師を対象とした緩和ケアに関する講演をしました。
いつも似たような話をするのですが、しかし話しをする度に、
毎回「あっ、そうなんだ」と新たな気づきや発見があります。

今回の新たな気づきは、緩和ケアに対するイメージについてです。
緩和ケア、特に緩和ケア病棟に対するイメージは
医療者と患者とでは大きく異なります。
医療者は苦痛なく過ごせるとか、精神的なケアもしてもらえるというように
安らぎのときを過ごすことができるようになることを強調します。
一方患者さんはと言うと、緩和に行ったらもうお終いだとか、
見放された人が行くところだとか、
すべてをあきらめなくてはいけないといった
とても悲観的で暗いイメージもっている場合が多いのです。
医療者と患者さんとではどうしてこうもイメージが異なるのか、
スッキリした説明ができずにいました。

ところが今回この疑問が解けたのです。
それは、医療者は患者さんが亡くなることを前提に考えているのに対し
患者さんは、生きることを前提に考えているからなのです。
つまり医療者にとっては亡くなるのが前提なので
治療なんかしてもあまり意味がないと思っているし、
残された時間もそう長くはないと考えているので、
少しでも安らかな時間が過ごせるよう力を注ごうと思うのです。
しかしどんなに優しい言葉で語り、どんなに穏やかな態度で接したとしても
その前提には患者さんの死というものが、
厳然たる事実として存在しているのです。

それに対して患者さんの方は生き続けたい、まだ死にたくない、
あきらめたくないと思っている人が少なくありません。
もちろん自分の死を受け入れている人や
もう年だからあとはお迎えを静かに待っているという人もいますが
若い人や死への恐怖をもっている患者さんなどは
やはりまだ死にたくない、生きていたいという思いを強くもっています。
つまり彼ら彼女らは生きることが前提にあるのです。
だからこそ、死を前提に考えている緩和ケアには
どんなに美辞麗句を並べられてもやはり抵抗をもってしまうのです。

ではこのような患者さんにはどのようにかかわったらよいのでしょうか。
それは患者さんの「あきらめたくない」という思いを
大切にしたかかわりを続けていけばよいのです。
患者さんは最初から死を前提に考えることなどなかなかできませんが、
医療者が生きることを前提としたかかわりをしてくれるならば、
そこには微かな期待や希望をもって生きることができます。
しかし実際には、病状は次第に悪化していくので、
嫌でもその現実を見ざるを得なくなってきます。
そのような、生き続けられるかもしれないという期待感と、
病状の悪化という現実の狭間で
少しずつ自分の死というものに目を向けざるを得なくなり、
最終的には自分の死を受け入れられるようになっていくのです。
もっと正確に言うならば、死を受け入れざるを得なくなっていくのです。

今年の1月20日にアンビリーバボーで放映された
山本順子さんと愛娘のりなちゃんとの話はとても感動的でした。
アロマセラピストの宮里さんが彼女にかかわり、
「りなちゃんきいて」という絵本を出版し、
それを全国の緩和ケア病棟に配布したのがきっかけとなり
様々なところで取り上げられ話題となりました。
その彼女が亡くなるちょうど2ヶ月前に、
宮里さんらに連れられて私の外来を受診してきました。

外来のベッドに横になりながら話をしていたのですが、
そのときもまだ、生き続けることをあきらめていませんでした。
彼女は免疫療法をやりたいと言っていたのですが、
これは一回30万円くらいのお金がかかる治療法なので、
とりあえずそのことを本人に確認すると
そのために貯めていたお金があるので大丈夫だと言うのです。
一緒に来ていたケアマネージャー?は、
そんなものに無駄金を使ったらもったいないと言わんばかりに
怪訝そうな顔で私たちのやりとりを見ていました。

結局、彼女は免疫療法を受けたのですが、
残念ながら効果はありませんでした。
その後状態はさらに悪化してきたため、
最終的には神戸にある緩和ケア病棟に入院することになりました。
30代の彼女が4歳の娘さんを残して死ぬなんて
到底受け入れがたいことだったと思います。
でも彼女は生き続けるための努力をする過程の中で、
次第に現実を受け入れ始めていったのではないでしょうか。

生き続けたいという思いをもちながらも、
その一方で、りなちゃんへのメッセージカードを作り始めました。
自分の死を自覚し、娘さんに残すビデオメッセージも撮りました。
しかし、末期がん患者さんの倦怠感を取るために通常使うステロイドは
免疫力が下がるからという理由で最後まで使いませんでした。
彼女の生き続けたいという思いが、そうさせたのだと思います。

彼女は生きることを前提に考えていたからこそ、
免疫療法も試みたし、ステロイドも使わなかったのでしょう。
死ぬことを前提に考えていたならば、そんなことをする必要はありません。
しかし誰の目から見ても彼女の命がそう長くないだろうことはわかりました。
当然自分でも、それはある程度自覚していたと思います。
だからこそ、りなちゃんへのメッセージを色々残したのです。
つまり彼女は、生きることを前提に考えながらも、
病状が次第に悪化していく状況の中で
自分の死という現実を少しずつ受け入れていったのです。

もしも死というものを前提にして考えるならば、
もっと現実を直視し、死を受容してもらえるような、
そんなかかわり方をすることも可能だったかもしれません。
効果がないであろう免疫療法などに無駄金を使うくらいなら、
ステロイドを使ってもっと身体を楽にすることを考えたらどうかと
説得するよう話すこともできたかもしれません。
しかしそのような死を前提とした話しや対応の仕方は、
彼女の「まだあきらめたくない」という思いを
ややもすれば「絶対あきらめない!」という
頑なな生への執着へと変貌させてしまうことになっていたかもしれません。
逆に、本人の生きたいという思いを大切にするかかわりをしたからこそ、
彼女も現実に目を向け始め、
少しずつそれを受け入れることができたのではないでしょうか。

緩和ケアの場合、医療者はどうしても
死ぬことを前提に患者さんのことを考えてしまいます。
実際にそれが問題になることはほとんどありませんが、
少なくとも患者さんが、生きることを前提に物事を考えている場合には
その思いを大切にしながら患者さんとかかわっていくという、
そんな姿勢が医療者にも必要なのではないでしょうか。
それが、患者さんに現実を受け入れてもらえるための
一番自然なかかわりではないかと私は思っています。
スポンサーサイト

テーマ : スピリチュアル
ジャンル : 心と身体

コメント

コメントの投稿

非公開コメント


プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://holicommu.web.fc2.com

最新記事

検索フォーム

QRコード

QRコード