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私の歴史(2)~心療内科から緩和ケアへ

2010年10月27日19:07

平成14年8月末のある日の夜、突然自宅に電話がかかってきた。
関西医大心療内科の中井教授からだった。
電話の内容はこうだった。
その年の7月に彦根市立病院がリニューアルオープンし、
その目玉として緩和ケア病棟が新設されたのだが、
そこに関西医大から、期待を一身に背負って派遣された医者が
一ヶ月もしないうちにダウンしてしまったのだという。
何とかしてもらわないと困ると院長に言われ
困った教授が白羽の矢を立てたのが私だった。

私は心療内科時代からがんの患者さんにはとても興味を持っていた。
特にがんの自然治癒にはすこぶる関心があった。
どうしたら見捨てられたがんの患者さんを救ってあげられるか、
そんなことを私は学生時代からずっと思っていた。

実は以前にも教授に緩和ケアに行ってもらえないかと頼まれたことがあった。
結局その話は白紙撤回になったのだが、
その時に緩和ケアについてはずいぶんと考えた。
最初は緩和ケアなどに全く興味はなかった。
自分はがんを治すことに力を注ぎたいと思っているのに、
死んでもらうことに力を注ぐなんて全く思ってもみなかった。
しかし緩和ケアに行かざるを得ないというのであれば、
何とかそこに意味を見出さなくてはならなかった。

何冊か本を読んでいるうちに
帯津先生とホスピス医の山崎章郎先生の対談本に出くわした。
この本を読んで気づいたのは、
帯津三敬病院の入院患者さんは、
緩和ケア病棟に入院している患者さんとあまり変わらないということだった。
帯津三敬病院に入院している患者さんの8割はがん患者さんだ。
末期患者も多く、実際3日に1人の割合で患者さんが亡くなるという。
これはほとんど緩和ケア病棟と同じ状況だ。
異なることと言えば、代替療法を駆使しているか否かという点だ。

ただ山崎先生も、緩和ケアでも患者さんに希望を持ってもらうという意味で
代替療法は重要だと言っていた。
この本を読んで気づいた。
そうだ、緩和ケア病棟で帯津三敬病院でやっているようなことをしたらいいんだと。
ちょっと緩和ケアに関心が持てた。やってもいいかなとも思った。

もっとも、私が一番関心を持っているのは心の治癒力だ。
それをうまく引きだすことで、
がんの進行抑制や治癒をもたらす可能性はそれなりにあると思っている。
そのための手段として食事や運動、代替療法をうまく利用する。
ただ、そこにはコミュニケーションが重要な役割を果たしている。
これが私の考えの中心にある核の部分だ。

当然のことながら、その対象となるのは
比較的元気ながん患者さんであり、
亡くなりつつあるがん患者さんではない。
だから、緩和ケアに行ってもいいかなとは思っても
緩和ケアに骨を埋めるつもりはなかった。

ただ、緩和ケアに行くことにより、
心療内科時代にはほとんどかかわることができなかったがん患者さんと
毎日かかわることができるようになる。
当然のことながら、がんに関する知識や技術もある程度身につく。
緩和ケアでがん患者さんと関わる経験は
自分が将来、本当にやりたいと思っていることをするためにも
とても役立つと思った。

そのような理由から
いつしか緩和ケア医になってもいいなあという思いが生まれていた。
しかし最初の緩和ケアへの赴任の話はなくなったので、
その後もしばらく心療内科を続けることになった。
しかし、次第に心療内科への興味が薄れ、閉塞感を感じるようになり、
何とか、新天地に羽ばたきたいという思いが日に日に強くなっていた。

そんな折りに、中井教授からの電話であった。
教授は、嫌なら断ってもいいと前置きをしたあとに話をし始めた。
しばらく考える猶予をくれるとも言っていた。
しかし私は二つ返事で引き受けた。
これからは本当にやりたいことの第一歩が踏み出せると思うとワクワクした。
そしてついに私は新たな希望を胸に、彦根市立病院へ赴任した。
電話をもらった2ヶ月後のことだった。
To be continued
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プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://kuromarutakaharu.com

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