患者さんと家族の狭間で

2016年02月01日16:53

50歳の女性が亡くなった。
膵がんだった。
元気な頃は何でも自分でやる積極的は女性であったが、
病気になってからは、何かと母親に頼るところがあった。
しかしその一方で、母親の期待にも添わないといけないと思い、
食べたくない食事を無理に食べて、母親を喜ばせていた。

しかし、その無理も限界となり、
あとは楽にさせてもらいたいという思いを主治医に吐露した。
本人の意向を十分に聴いた上で、
母親とご主人、娘さんに彼女の意向を伝え、
今は無理に食べさせたり点滴をしたりして延命しようとするよりは、
本人の苦痛をできるだけ和らげ、本人の思いを大切にしてあげるために
あとは自然の流れに任せ、
静かに見守ってあげる方がよいと思うと家族に話した。

最初は抵抗していた母親も、娘の思いを理解し
最終的には静かに見守る道を選択してくれた。
その後は、ずっと娘の傍に付き添い、
あれこれ心配しながらも、いつも優しく見守ってくれていた。

食事が全く食べられなくなってから1週間ほどした頃から
嘔吐が出現、それが続いていたため
鼻からチューブを入れることにした。
本人も最初は抵抗していたが、このチューブを入れると
吐かないですむようになり楽になると説明、
もしもどうしても嫌なら抜くこともできると話したところ
ようやく了承してくれたため、チューブを入れた。

その後は嘔吐もなくなり、穏やかに過ごせるようになったが、
その2日後に本人から、
このチューブがしんどいので抜いてもらいたいという希望があった。
挿入時にいつでも抜くことができるという約束もしていたので
本人の希望通りチューブを抜いた。

幸い、その後は嘔吐もなく、穏やかに過ごせていた。
状態はかなり悪くなり、傾眠傾向であったが、
時々開眼し、水がほしいと言うこともあった。

チューブを抜いてから5日が経ったある日の9時頃から
再び最初と同じような嘔吐が始まった。
ゴボゴボとこみ上げてくるものがあり、
それが少量ずつ、口角から流れでるという嘔吐であった。
少量ずつではあったが、それが何度もあったため、
家族は、苦しそうだからまたチューブを入れて下さいと言ってきた。

私は、患者さんのところに行き、もう一度チューブを入れるかと尋ねると、
かすかではあるが、首を横に振ったのがはっきりとわかった。
その光景は、家族もナースも見ていたため、
本人が嫌というのだから、今は入れるべきではないと判断、
そのまま病室をあとにした。

その後何度か病室を訪れたが状態に変わりはなかった。
母親やご主人は、辛そうだからチューブを入れて欲しいと言っていたが、
再度本人に尋ねると、今度ははっきりと「いや」と言ったので、
結局、そのまま見守ることにした。

その後も、口からはダラダラと嘔吐物が流れ出ていたが、
傾眠状態でもうろうとしていたとこともあり、
嘔吐物を出すとき以外の表情は穏やかであった。

しかし、しばしば嘔吐する娘を見ていた母親は、そうは思わなかった。
辛そうだし、何とかしてほしいと、何度もナースには言っていた。
かなり状態も悪く、血圧も70台まで低下、チューブを入れるとしても、
入れる際に呼吸が止まる危険性があることも説明したが
やはり、目の前で吐いている娘を見るに忍びなかったのだと思う。

私は母親に説明をした。
娘さんはチューブを入れられるよりは、
こうして自然と上がってくるものを吐く方がまだいいと思っているようですし、
寝ながら、口角から流れ出るような嘔吐なので、
通常の嘔吐に比べると、上がってきやすく、出しやすいので、
みんなが思うほど、本人はしんどくないのかもしれませんと話した。

さらに、本人を見ている家族が辛いのであって、それは本人の辛さとは別であり、
本人が、チューブを入れるのを拒むということは、
今の状態は皆さんが感じる程辛くはないのかもしれないので、
とりあえず、もうしばらくこのまま見守ってあげる方がよいという説明もした。

結局、吐き始めてから12時間後にこの患者さんは静かに息を引き取った。
しかし、母親からすれば、緩和ケアは症状を楽にしてくれるところのはずなのに、
全然、楽にならなかったと不満の思いを募らせながらの最後だった。
母親からすれば、きっと納得がいかなかったのだろうと思う。

このようなケースは過去にも何度かあった。
いつも難しい判断を迫られる。
本人の思いと家族の思いが正反対の場合は、どうすべきか迷うところだ。
本人は点滴をしてほしくないが、家族は点滴をして欲しいと言う。
本人は何もしないで欲しいと言うが、家族は延命をして欲しいと言う。

今回のケースも、本人の意向と家族の意向が正反対であったが、
今までと多少性格を異にするケースであったと思う。
点滴や延命をしないというのは、基本的に患者の苦痛を軽減することになり、
なおかつ本人もそれを望んでいるのであれば、
医学的にもあまり問題にはならない。

しかし、今回のケースはチューブを入れるときの苦痛は多少あるが、
その後は嘔吐がなくなり楽になることはある程度わかっていた。
しかし本人は、一度経験しているチューブの挿入を拒否した。
チューブを入れることによる楽さよりも、入れない方の楽さを選んだのである。
実際に、どちらが楽なのかはわからないが、
本人は入れない方をはっきりと選択したのである。
そのような選択をしたのであれば、
本人の意向を無視して、チューブを入れるわけにはいかない。

しかし、家族の苦痛を考えると話しはそう簡単ではなくなる。
建前上は、患者と家族の苦痛に対処するのが緩和ケアであり、
チューブを入れた方が患者は楽になるであろうことも医学的には予想されるため、
本人の希望はあるものの、
家族の苦痛を和らげ、本人の嘔吐の苦しみを和らげるという意味では
本人の意向に反して、チューブを入れるという選択肢もないわけではなかった。

本人が亡くなったあとに残されるのは家族である。
その家族が、ずっと辛い思いを引きずりながら
これから生き続ける可能性もあるということを考えると、
果たして今回の選択は正しかったのか迷うところではある。

苦しんでいる(苦しそうに見える)本人の姿を見ているのは辛いことだが、
誰が辛いのかというと、やはり本人ではなく家族の方なのである。
家族の苦痛に重きを置くのであれば、
本人の意向に反するがチューブを入れる方がよいだろうし、
本人の思いを大切にするのであれば、チューブは入れない方がよい。

理由はどうであれ、また本人のこだわりもあるかもしれないが、
私としては、最後の望くらいは叶えてあげたいと思いの方が強い。
ただしその場合も、家族の苦悩がもう少し楽になるような
説明をすることは必要だったかもしれない。

いつも思うことではあるが、
相反する二人の意見の狭間に立たされるのは辛いものがある。
判断に迷いながら選択をしていくのである。
正解はない。人生と同じだ。

スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

非公開コメント


プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://holicommu.web.fc2.com

最新記事

検索フォーム

QRコード

QRコード