映画「北のカナリアたち」を見て

2012年11月26日17:26

吉永小百合ファンとして、彼女の主演映画は必ず見ます、
いや正確に言うと、見るようにしています…です。
そんな流れもあり、今回も「北のカナリアたち」を見ました。
いや~久しぶりに大いに感動させて頂きました。
あまりによかったので二回も見てしまいました。
泣かせる映画ですが、いろいろと考えさせられるところの多い映画でもありました。

これは、北海道の小さな島の分校の教師をしていた
川島はる(吉永小百合)と6人の生徒たちの物語です。
ある事故をきっかけに、はるは追われるように島を出ることになります。
20年後、生徒の一人が起こした事件の知らせを機に、
はると生徒たちが再会し、今まで心の奥に凍てついていた「真実」が
溶けるように明かされていくという物語です。

この映画を見て思ったのは、
人には誰にも言えない過去があるということ、
そして、後悔や自責の念を持ちながらも、
人はみんな生きているんだということでした。

吉永小百合が演じる川島はるも、
イメージは吉永小百合そのものでしたから、
いつの間にか二人がだぶってしまい、
あんな清楚で思いやりのある吉永小百合ですら、
人には言えない過去や心の傷があるんだという思いを抱いてしました。

もちろん、これは映画の中での出来事ですが、
でも、実生活での吉永小百合も同じように、
人には言えない過去や後悔の念に駆られることだってあるはずです。
誰もがみな不完全な人間なのですから。
完璧なように見えたとしても所詮一人の人間なのです。神ではないのです。
だからこそ過ちも犯します。
まして況んや私をや、です。

しかしそれが必ずしも悪いことだとは思いません。
なぜならば、消えることのない罪悪感や後悔の念があるからこそ、
世のため人のために尽くそういう思いを持つようになったり、
その人の謙虚さや慎ましやかさを
醸し出す原動力になったりするすることもあるからです。

目標に向かって一心不乱に邁進し、
ついには自分の夢を実現するという人生も素晴らしと思いますが、
心の傷を抱えながらも、毎日をひたむきに生きるという人生も
それはそれで十分に尊いことだと思ったのです。
たとえそれが「生きているだけ」であったとしても‥。

また、この映画には人を「支えること」へのメッセージも
込められているように思いました。
世の中には、死にたくても生き続けなければならない人もいれば、
生き続けたいのに死んでいかなくてはならない人もいます。

過ちを犯し、罪意識に苛まれ、死んでしまいたいと思ったとしても、
人は生きていかなくてはなりません。
そんな人が、生き続けようと思えるのは、
その人を支えてくれる人たちがいるからです。
人は一人では生きてはいけません。
人の支えがあるからこそ生きていけるのです。
たとえ自分を支えてくれる人が傍にいなくても、
どこかで自分を支えてくれているという思いがある限り、
人は生きていけるのです。

その一方で、まだ生きていたいと思いがありながらも、
死を避けることができない人がいるのも事実です。
若くしてがんになってしまい、
余命幾ばくもないという状況に追い込まれてしまった患者さんなどは
まさにその典型です。

どうして自分は死なないといけないのか、
どうして自分はこんなに苦しまなくてはいけないのか、
そんな嘆き悲しみを支えてくれるのも、やはり人なのです。
人の支えがあるからこそ、最後の最後まで生きていけるのです。
そして人の支えがあるからこそ、人生を全うできるのです。

苦しみを抱えながら生きていくのも、苦しみを抱えながら死んでいくのも
どちらにせよ、人の支えがあるからこそ「今」を生きていけるのです。
「北のカナリアたち」は、そんなことをあらためて考えさせられた映画でした。
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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画


プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://holicommu.web.fc2.com

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