家族への「説明」を巡る問題

2012年09月29日11:34

主治医から「もう治療法はありません、あとはホスピスに行って下さい」
と、言われた末期がんの患者さんであったとしても
まだあきらめたくないという思いを持っている人は少なくない。
それは患者本人だけではなく、家族とて同じことだ。
ましてや患者が20代の一人娘だったりすれば、なおさらのことだろう。

そのような場合、当然のことながら家族も何とか治してあげたいと願い
お金に糸目は付けず、高額な代替療法に希望を託す場合も多い。
傍から見たらお金の無駄遣いだと思うかもしれないが、
家族からすれば、かわいい娘が少しでもよくなる可能性があるのであれば、
どんなことでもするという決意の証なのかもしれない。

主治医から何度も説明を受けているのであるから、
家族も現実が厳しいことはもちろんわかっている。
それでも、奇跡が起きることを信じたいのだ。
その思いが強くなればなるほど、
悪くなっている現実は受け入れ難くなってくる。
そうすると、少しでも状態が落ち着いている瞬間があっただけで、
「昨日よりずいぶんと良くなった」と見えてしまうのだ。
家族からすれば、少しでも良さそうに思える部分はよく見えるが、
他のほとんどを占めるよくない状態は無意識にスルーされてしまうのだ。

そんな家族の思いは、ときに医療スタッフを不安にさせることがある。
「この子が元気になったら、また一緒に旅行に行きたいんです」
そんな言葉を耳にすると、
「この両親は、娘さんの病状がかなり悪いということを
本当にわかっているのだろうか」という思いに駆られるのも
ある意味、自然なことかもしれない。

一方、そんな言葉を口にする両親の思いも十分に理解できる。
現実が厳しいことは潜在的にはわかっているが、
しかし娘が近い将来、この世からいなくなるなんて考えたくもないのだ。
だからこそ、その思いを振り払うべく
その正反対の元気になった状態に思いを馳せることで
今の受け入れがたい現実に何とか対処しているのだ。
それが非現実的な言葉として現れているだけであり、
両親が現実を理解していないわけでは決してない。

逆に、現実がわかっているからこそ、
その反動で「旅行に行きたい」などという非現実的な言葉が出てくるのだ。
もし近い将来亡くなるという現実を全く知らなかったならば、
慌てる必要もないし、焦る必要もない。
ましてや、非現実的な思いの中に逃避する必要など全くないはずだ。

ところが、表に現れた言葉を文字通りに受け取り、
「この両親は現実を理解していないようだから、しっかり理解できるように
ちゃんと説明をしてあげなくては」などと考える医者がいたならば、
これは、両親の思いを全く理解できていない医者だと言わざるを得ない。

いや、もしかしたら両親の思いを理解はしているのものの、
まもなく訪れるであろう死の現実に両親が直面した際、
当然のごとく、その現実を受け入れられない両親が、
「こんなことになるなんて聞いていません!何とかして下さい!!」と
泣き叫びながら必死に懇願してきたときに、
どう対応してよいかわからず右往左往している自分を想像してしまい、
それによりかきたてた不安感が
「ちゃんと説明をしなくては」という思いをわき上がらせているのかもしれない。
それが「もし訴えてやると言われたらどうしよう」などという妄想にまで膨らめば、
その不安感はより一層募ってくるだろうことは十分に予想できる。

こんな事態にならないためにも、
家族にはちゃんと現実を理解しておいてもらい、
死ぬ間際になって無理難題を
吹っかけられないようにしておかなくてはという思いから、
家族がちゃんと理解できるように説明をすべきだと考えるのであれば、
これは本末転倒というものだ。

現実を直視することを避けることで、
如何ともし難い不安感に対処している両親をよそに、
両親が現実に直面した時に、
もしかしたら自分に火の粉が
降りかかってくるかもしれないという不安感を和らげることを優先し、
これ以上直視したくない現実の話しを、
理解していないように見えるという理由で、繰り返し説明するという行動は、
どう見ても家族のためというよりも、自分のためにしているようにしか思えない。

インフォームド・コンセントの問題もこれと似ているところがある。
説明の重要さは十分にわかっているが、結局誰のための説明かということだ。
患者さんにとって必要な説明をするのは当然だが、
患者さんがあまり知りたくないことをどこまで言う必要があるかとなると
これはなかなか難しい問題になる。
悪い情報は誰でもあまり聞きたくはないが、しかし大切なことであれば、
これもしっかりと説明しなければならないのは当然のことである。

しかし、もしも何かトラブルが起こったときに
医者が訴えられないように説明をしておこうという思いで説明をするのであれば、
これは本末転倒ではないかと思ってしまうのだ。
この問題については、これ以上深入りするのはやめておく。

医療の世界において、ごく普通に行われている「説明」という行為は、
とても単純な作業のように思われがちだが、
患者や家族の思いを大切にするという視点に立って「説明」を考えると、
事はそう簡単なものではないのである。
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プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://holicommu.web.fc2.com

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