哲学を楽しむ

2010年05月31日16:31

5月に入ってから哲学関連の本を二冊読んだ。
「寝ながら学べる構造主義」(内田樹著、文春新書)と
「史上最強の哲学入門」(飲茶著、マガジン・マガジン)だ。
どちらも読みやすいが、特に後者は
専門用語ではなく普通の言葉で書かれているので理解しやすい。

哲学の本を読むと自分の考えていることがいろいろな視点から眺められ、
また思わぬ気づきも生まれるのでとても好きだ。
ただし小難しい哲学用語が羅列されたような本は意味不明なので却下。
専門家になるわけでもないので、このような一般書で十分だ。

私の根底には「絶対的な真理や真実などはない、
その人が真実だと思っていることがその人にとっての真実だ」
という考え方がある。
どうもこれは実践重視の道具主義哲学者であるデューイの考え方に似ている。
Aを信じていることで、それがその人にとって有用であるならば、
Aの真偽を問わずAは真実である、というのが彼の考え方だ。

末期がんの患者さんが「俺のがんは絶対に治る!」と、
思い込んでいるならば、医学的な真実がどうであれ、
この人の末期がんは治る!という思いは真実だということだ。
もっとも私がそう思うか否かはまた別問題だ。
なぜならば、私には私にとっての真実がまたあるからだ。

ただし、この患者さんと関わるうえにおいては
この患者さんにとっての「真実」は大切にするし、
それを前提とした関わり方をしていく。
そのような患者さんとのコミュニケーションを通して
「喜び」が共有できたならば、
その人にとっての真実が現実になることもあると思っているからだ。

また「言葉」について考えるのもなかなか興味深い。
言葉とは、椅子や机といったような「ものの名前」だと思われがちだが、
そうではないというのが、ソシュールの考え方だ。
彼によると言葉とは、何かと何かを区別するためにあるものだという。

例えばわれわれは「蝶」と「蛾」は明らかに異なるものと思っている。
しかしフランス語にはこれを区別する言葉がなく
ともに「papillon(パピヨン)」と言うそうだ。
花々を可憐に飛び回る蝶と、電灯の明かりに群がる蛾とは、
どう見ても同じものには思えないのだが、
フランス人にとっては、これらは同じ「papillon」なのだ。
「姉」「妹」もそうだ。日本人はこの二つを区別する言葉が存在する。
しかし英語ではどちらも「sister(シスター)」になる。
姉であろうが妹であろうが、それは同一の言葉でしか表現されない。
つまり、姉と妹を区別するという視点がないのだ。

このように言葉とは、物事を区別するためのものであり、
その言葉がない限り、その観念は私たちの中には存在しないというのだ。
私が小学生の頃に、じっとしていることができず動きまわり、
衝動的で、注意力が散漫な生徒がいた。
当時は落ち着かないやつだなあ、と思っていただけだし、
親も先生も色々いる子供の中の、ちょっと変わった子供が一人いるなあ、
というくらいにしか思っていなかった。
しかし今はこのような子供には
ADHD(注意欠陥多動性障害)という病名がつけられてしまう。

それまでは数多くいる普通の子供の中の一人だったのが、
ADHDという名前が生まれたことで、
このような子供は普通の子供と区別されることになる。
ある言葉が生まれた瞬間から、
目の前にある世界の見え方が変わってしまうのだ。
現実の世界は今までと全く変わっていなくても、である。

つまり日本人には見えるが、フランス人には見えないとか
私には見えるが、あなたには見えないといものが普通に存在するということだ。
私の中には「自己治癒力」という言葉がはっきりとしたものとして存在している。
しかし一般の医者の観念の中には「自己治癒力」という言葉はない。
その代わりにあるのが「治療する」という言葉だ。
この両者の視点の違いには雲泥の差がある。
患者さんに対する見え方が全く異なるので、
当然のことながら、その対応の仕方にも違いが出てくる。
薬を飲んで病気を治そうと考えるのと、
心地よいことをすることで治癒力を高めようと考えのとの違いだ。

このように医療の分野においても、全く異なる言葉や視点があり、
それにより、ものの見え方がまるで異なる。
私たちが見えている世界は、
必ずしも相手が見えている世界と同じではないのだ。

つまり私たちの時代や住む地域、属する社会集団は、
言葉を通して、それぞれが「常識」という「偏見」を作り上げている。
そのような「偏見の時代」に生きているのが現代のわれわれであり、
そのような考え方が構造主義の視点でもある。

なにやら訳の分からないことをあれこれ書いた気もするが、
まあ、時にはいろいろな視点から物事を見つめ直してみるというのも
なかなか面白いものだ、ということを言いたかっただけである。
そのための一つの道具が哲学である、ということだ。
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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌


プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://holicommu.web.fc2.com

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