「心の治癒力」再考

2016年09月24日06:01

私が「心の治癒力」という言葉を使い始めてから
もう20年以上が経ちます。

もともとは心が持っている、
身体症状を改善させる力という意味で、
この言葉を使っていました。

例えば慢性疼痛の患者さんでも、
希望が持てたり、気持ちが明るくなったりすると
痛みが軽減ないしは消失します。
これが「心の治癒力」だという理解です。

しかしあるときから
必ずしも身体の症状に関係なく
「心の治癒力」はあると思うようになりました。

例えば、愛する人や子供を亡くし、
悲しみに打ちひしがれたり、
不安や落ち込み気分で
悶々とした日々を過ごしている人であったとしても
ある程度の時間が経過することで、
次第に心が癒され、
気持ちも楽になってくる人も多いということは
誰もが感じているところです。

つまり、身体には傷や症状を治す力があるように、
心にも自分自身の心の傷や症状を癒す力があるということです。
それもまたれっきとした「心の治癒力」だと思ったのです。

さらに、様々な患者さんの治療経験から、
自分が抱える悩みや問題を解決したり、
苦しみから這い上がってくる力が人には存在しており、
これもまた「心の治癒力」だと思うようになりました。

悩みや問題は時の流れにより自然と解決することもありますが、
様々な工夫や気づき、努力、忍耐により
初めて問題が解消されることも少なくありません。

このような悩みや問題を抱えているときは
誰もが辛い思いをしているでしょうし、
そのストレスで身体症状が現れることもあるでしょう。

その原因となっている問題を解決しなければ
心の癒しも身体症状の改善もないわけですから、
自らの力で問題を解決するという意味での「心の治癒力」は
特に重要だと言わざるを得ません。

ですから今は以下の三つの意味で
「心の治癒力」という言葉を使っています。

1,心が持つ身体症状を改善する力
2,心が持つ自分の辛さを癒す力
3,悩みや問題を解決する力

「治癒力」という言葉を
「治」したり「癒」したりする「力」だと理解するなばら、
まさにこの三つの意味合いを持つ言葉が
「心の治癒力」だと言えます。

皆さん、いかがでしょうか。




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死の不安への対処法

2015年04月29日06:29

末期がんの患者さんのように、
近い将来確実に自分の死が訪れるとわかっているような状況になったとき、
人は誰でも死への不安や恐怖を感じるものです。
そのような不安や恐怖には、どのように対応したらよいのでしょうか。

一般の人は、自分が最後どうなるのかがわからないことで、
すごく不安を感じるものです。
自分が死ぬという経験は誰もしたことがないので、これは当たり前なことです。
ですから、先ずは自分が最後、どうなるのかを知ることが
不安軽減の第一歩につながります。

たいていの人は、最後は苦しむのではないだろうかと思っています。
しかし今は、緩和医療も進歩し、苦痛をできるだけ取り除き、
最後は苦しむことなく楽に逝けるということが十分に可能です。
そんな説明をしてあげるだけで患者さんはホッとするものです。
このように、最後は安らかに逝くことができるということを知るだけでも、
不安感はずいぶんと軽減されます。

また、中には残された家族の心配や、
後悔の念、無念の気持ちといった思いを持つ人もいるでしょう。
このような場合には、これらの思いが少しでも軽減できるようなことを
できる範囲内で行動に移してもらうことです。

誰かに相談する、話しを聞いてもらう、手紙を書く、ビデオレターを作るなど
自分の置かれた立場により、人それぞれ異なると思いますが、
ほんの小さなことでよいので、
少しでも問題解決に向けて動けるように、
そっと支えてあげることが大切です。

もちろん、それですべての心配がなくなるわけでも、
後悔の念が消えるわけでもありませんが、
何か行動をするというだけで気持ちは少し楽になりますし、
また、それで不安が多少なりとも解消するのであれば、
それだけでも十分に意味のあることです。

ただし、何をしたらよいのかがわからないとか、
行動を起こすだけのエネルギーがないという人も多くいます。
そのような場合は、敢えて行動に意識を向ける必要はありません。
その時には、自分の過去、未来、現在に思いを巡らしてもらえばよいのです。
つまり、行動ではなく「思い」に焦点を当てるわけです。

先ずは過去ですが、
誰もが、自分が輝いていたとき、がんばっていたとき、
何かを成し遂げたときというのがあるものです。
そのような過去の自分を振り返ってもらうことで、
「自分は、今までよくばんばってきたんだなあ」という思いが持てれば
過去の自分に思いを馳せるというのはとてもよい対処法になります。

しかし中には、自分の過去には
一切誇れるものがないと思い込んでいる人もいます。
そんな人には未来に目を向けてもらえばよいのです。
つまり「死んだらどうなるんだろうか」ということです。
これには正解はありません。
自分がこうだと思ったものが正解になります。

先に逝った母親に会いたいでも、
残された子どもたちを草葉の陰から見守ってあげたいでも
天国や極楽に行くでも何でもよいのです。

私の場合は、ザ・フォーク・クルセダーズの「帰ってきたヨッパライ」の
あのフレーズが忘れられません。
「天国よいとこ一度はおいで、酒はうまいしねえちゃんはきれいだ」
私は、死んだらこのような世界に行けると思うと、
死ぬのもまんざらではないなと、ちょっと嬉しくなってしまいます。

未来にどんな思いを巡らせるかは、その人の自由です。
そうすることで、迫りつつある死への不安が軽減できるのであれば、
どんな思いやイメージでも構いません。
是非、微笑みが浮かぶような未来のイメージを描いてもらって下さい。

では、過去や未来に思いを巡らせるのは苦手だという人は
どうしたらよいのでしょうか。
そのような人は「今」に意識を向けてもらえばよいのです。
週刊誌や新聞を読んでもよいし、
写経や読書、編み物、パズル、音楽を聴くでも何でもOKです。
もちろん、飲めるのであればお酒を楽しむというのも構いません。

どんなことでもよいので、
「今この瞬間」に意識が向くようなことをすればよいのです。
その瞬間は、死への不安に苛まれることはありません。
現在に意識を向けるという作業の積み重ねが、
死への不安を和らげる対処法になるのです。

では、それすらできないという人はどうしたらよいのでしょうか。
その場合は、不安や後悔の念を持ちながら、
ああでもない、こうでもないと、
あれこれ考えながら過ごしてもらえばよいのです。

それでは、何もしないのと何ら変わりがないと思うかもしれませんが、
そうではありません。
人はずっと考え続けたり、不安感を抱き続けたりすることが
できないようになっています。

なぜならば、肉体的限界があるからです。
つまり、考え続けていると疲れてしまい、
いつしかボーッとなり、そのうちウトウト眠ってしまうからです。
もちろん、目が覚めたらまた不安が蘇り、
あれこれ思い悩むことになりますが、それでよいのです。

このようなことを繰り返しているうちに
状態は次第に悪化していきます。
最終的には、意識ももうろうとなってくるので、
思い悩むことすらできなくなり、
その延長線上に死が訪れるというわけです。

「不安をぬぐい去ろうとしなくてもいいですよ」というメッセージを伝えつつ、
傍でそっと見守ってあげる、それでよいのです。
人は、ただそれだけでも、ちょっと安心するものです。

実はどう転ぼうと、遅かれ早かれ死という現実は訪れます。
それまでの過ごし方は人それぞれですが、
その際、死の不安に対して
どう受け止めるのか、どう考えるのか、
どんなことができるのかといった視点から考えてみると、
死の不安への対処法というものが見えてきます。

死の不安におののいている人がいたら、
今言ったような視点から、そっとかかわってみて下さい。
きっと、安堵の微笑みを目の当たりにし、
あなたもちょっぴり幸せな気分になることでしょう。

かなうれ感

2015年03月30日05:07

死別は悲しみであると誰もが思います。
愛する妻を亡くした夫や、かわいい子どもを亡くした両親にとって、
それは悲しみや絶望感以外の何ものでもないでしょう。
しかしその一方で、
死別により安堵感や解放感を味わう人たちがいるのも歴然とした事実です。

以前心療内科をしているときに、
うつで5年以上私のところに通院していた70代の女性患者がいました。
彼女は結婚以来、40年以上にわたり夫に尽くしてきました。
すべて夫の言うことに従順に従ってきた人生でした。
編み物などやめろ!のひと言で、
大好きだった編み物をやめたのは30年前のことです。

友人と楽しく電話をしていると、
「電話を早く切れ!」と怒られるため、
夫の前では電話はできなくなりました。

そんな夫が、5年間の闘病生活の後、静かに息を引き取りました。
葬式を済ませ、一段落着いたある日、彼女は私の外来を訪れ、言いました。
「こんなことを言ったら不謹慎だとは思うんですが、
主人を亡くして悲しいと思う気持ちもありますが、
それ以上に、ようやく主人から解放されたという
安堵感というか喜びの気持ちの方が大きいんです」

5年間、毎月通い続けた外来で、
ワンマンなご主人にどれだけ怒られ、責められ、
なじられ、侮辱されたかを知っていた私にとって、
ようやく訪れた安堵感や解放感は
死別の悲しみよりもはるかに大きなものだったということを
容易に理解することができました。

世間一般では、死別により残された人は
嘆き悲しむのが当たり前であり、
それを喜んだり、安堵したりするなんて
人間としてあるまじき態度だと思われがちですが、
実際には、そのような思いを抱く人はたくさんいます。

長年アルツハイマーを患っていた妻、
小さい頃から娘を虐待し続けていた父親、
麻薬と犯罪に明け暮れている息子、
精神疾患を患い暴力を振るう母親…

このような人たちの死に、内心救われたと思っている当事者に対して
「たとえどんな人であったとしても、人は尊い存在であり、
その死を喜ぶようなことは決してすべきではない」
などと言う人がいたならば、
その人は単なる理想論を、あたかも真理であるかのように語る
偽善者としか私には思えません。

しかし、このような死別に伴う安堵感や解放感の存在は
誰もが理解しうる感情であるにもかかわらず、
倫理的、道徳的、人道的理由からか、
その感情を言い表す単語は世界のどこにも存在していません。
単語が存在しないということは、
そのような感情は無視され、一般的に認識されることもありません。
つまりそのような感情は存在しないのと同じことなのです。

単語が存在しないために、
死別による安堵感や解放感を持った人は
そんなことを思ってはいけない、感じてはいけないと自分に言い聞かせつつ、
自然と湧き上がってきてしまう幸福感を感じている自分を責めたり、
罪の意識に苛まれたりする人もいるでしょう。

もしも、この感情を言い表す単語があったら、
このような罪悪感で苦しむ人はいなくなるでしょう。
そうであれば私が作ろうと思い、考えたのが「かなうれ感」です。
悲しけど嬉しい、つまりそれが「かなうれ(悲嬉)感」というわけです。
「かなうれ感」と言うと、ちょっぴり「憂う」と語感が似ているので
あまり不謹慎な言葉に聞こえないところもいいのではと勝手に思っています。

「かなうれ感」が市民権を得ることはないかもしれませんが、
そんな感情があると言うことを知っておいて頂くだけでも十分です。
死別の解放感に罪意識を感じている人がいたら教えてあげて下さい、
それって「かなうれ感」って言うんだよ、と。
そしたら、その人も救われるのではないでしょうか。

なお、この感情について書かれた本はあります。
「夫の死に救われる妻たち」(飛鳥新社)です。
興味のある方は是非読んでみてください。

医療におけるホリスティックな視点とは

2015年02月28日06:49

私は医療現場において、ホリスティックな視点を大切にしています。
そもそもホリスティックとはどのような意味かというと、
全体とかつながり、バランスといった意味合いをもつ言葉です。
医療の中で考えるならば、
肝臓や心臓といった臓器や部分だけでなく、
心と体のつながりやスピリチュアルな側面、
食事や環境、人間関係といったものも含めた全体的な視点から
人の健康や病気を見ていこうというのが
ホリスティックの意味するところです。

もう少し私なりにホリスティックについて考えていることを述べてみます。
ポイントは三つあります。
第一は医療における様々な視点や考え方を理解するという視点です。
ホリスティック医学を盲信している人の中には
西洋医学を否定する人が少なからずいます。

確かに西洋医学は絶対的なものではありませんし、問題もかなりありますが
少なくとも感染症や救急疾患、外科領域においては
西洋医学はなくてはならない医療です。
肺炎になったらホメオパシーよりも抗生物質を点滴する方が
明らかに治癒率は高くなります。
心筋梗塞の発作を起こした場合、漢方薬やアロマセラピーではなく
心臓の血管にカテーテルを入れる治療の方が
確実に死亡率は低下します。
つまり、西洋医学の治療が力を発揮する病気に対しては
西洋医学的治療をすればよいのです。

その一方で、心身症や生活習慣病といった
ストレスやライフスタイル、心の持ち方や考え方が関係する病気は
西洋医学の苦手とする分野です。
この場合は、カウンセリングや心理療法のような
その人の心に焦点を当てたかかわりが重要になってきます。

もちろんマクロビオティックに代表される食事療法や
ヨガ、気功、呼吸法、瞑想、リラクセーション法、
免疫力を高めると言われる健康食品やサプリメント、漢方、
いわゆる治療的代替療法に含まれる鍼灸、整体、温熱療法、
癒し系代替療法に含まれるアロマセラピーや音楽療法、芸術療法など
西洋医学以外のアプローチもたくさんありますので、
必要に応じてこれらを利用するも大いに結構です。

さらに、末期がんや神経難病、不治の病のように
治癒することが困難な病気の場合には
スピリチュアルなかかわりも役に立つことでしょう。

このように、体、心、気、霊性といった様々な視点から
目の前の患者さんに対して治療的かかわりを考えてく姿勢が
ホリスティックの重要な点のひとつです。
西洋医学を否定したり敵視したりした段階で、
これはすでにホリスティックな医療ではないというわけです。

ホリスティックな視点における二番目のポイントは
患者さんの価値観を大切にするということです。
治療者やセラピストにも得意分野や自分の考えがあるように
患者さんにも自分にあった考えや価値観があるのです。
誰もが自分が正しいと思っているのですが、
実際には、絶対に正しいとか絶対に間違っているというものはありません。
そうであれば、患者さんの思いや価値観も大切にし、
その視点から、治療者はかかわっていくという姿勢が
きわめて重要になってきます。
なぜならば、患者さんは
自分の考えを理解してくれる治療者を信頼するものであり、
その信頼感が患者さんの自然治癒力を高めることにもつながるからです。

ところが治療者はどうしても
自分の得意な治療法を患者さんに押しつけがちです。
サプリメントにせよ食事療法にせよ、整体や鍼灸にせよ、
患者さんの意向や価値観を考慮することなく
治療者がよいと思ったものを一方的に勧める傾向があります。
これでは、たとえどんなに代替療法の知識や技術があったとしても
単なる「押しつけ医療」にすぎず、
とてもホリスティックな視点を持っているとは言えません。

ホリスティックの三番目のポイントは
つながりや関係性です。
つまり、患者さんはどのようなつながりで気持ちが楽になるのか、
医療者はどのようなかかわりをすることで
患者さんに安心感や信頼感を持ってもらえるのか、
どのような医療環境を提供すれば
患者さんに満足感をもたらすことができるのかといったことです。

人の心は、家族、友人、社会、自然といったつながりや環境要因によって
よくも悪くも大きな影響を受けることになります。
これは、患者さんが最も心地よく過ごせるような
つながりや関係性を持つことができたならば
「心の治癒力」が引きだされ、延いてはそれが
「体の治癒力」を高めることにもなるということを意味しています。

だからこそ、治療者は患者さんとの関係性を大切にしつつ
患者さんに安らぎや希望をもたらすようなつながりにも
目を向ける必要があるのです。
このようなつながりや関係性の重要性を認識し
それを意識的に治療に活かそうと思っている治療者は
ホリスティックな視点を持っている治療者と言えるでしょう。
当然のことながら、ここでは良好なコミュニケーションが
重要な役割を果たすことは言うまでもありません。

ホリスティックな医療というと、
様々な代替療法を駆使して自然治癒力を高め、
それをもって病気を治すといったイメージがありますが、
もしも上記の三つの視点がなかったとしたならば、
それはホリスティックな医療ではなく
単なる「寄せ集め医療」や「独りよがり医療」にすぎません。

逆に西洋医学の一般的な医者であったとしても
患者さんのやりたいと思う代替療法にも理解を示し、
安心感や希望をもたらす医者がいたとしたならば
これはとてもホリスティックな視点を持った医者だと私は思います。
皆さんはいかがでしょうか。

今年の振り返りと来年の目標

2014年12月31日16:40

今年も、いよいよあと一日となりました。
そこで今回は今年の振り返りと来年の目標について書いておきたいと思います。

先ずは今年の振り返りから。
今年、達成したことと言えば念願の新刊本を1月に出せたことでしょうか。
「心の治癒力」をスイッチON!(BABジャパン)という本です。
私が最も力を注いでいるホリスティックコミュニケーション実践セミナーの内容を
一冊にまとめたものです。

カウンセリングに関心のある一般の方を念頭に置いて書いたものですが、
セミナーの受講を考えている方にとっては、
内容をより深く理解できると思いますので、
余裕があれば事前に一度読んでおくことをお勧めします。
目から鱗が落ちますよ。

さて、この本の基になっている
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーですが、
今年は東京と京都で各々二回ずつ開催しました。
お陰様で毎回、和気あいあいとした雰囲気で、
「5時からセミナー」(いわゆる飲み会)も大いに盛り上がりました。
来年は2月から新期のセミナーが始まります。
内容もより充実させたものを作っていきたいと思っていますので、
興味のある方は是非おいで下さい。
お待ちしております。

ところで今年一年を振り返って思ったのですが、
今年はどちらかというと充電期間の一年だったような気がします。
講演は20回以上しましたが、
チャレンジしたと言えるのは
「末期がんのスピリチュアルケア」(関西看護出版主催)という
5時間の長丁場の講演くらいで、
あとはいつもと似たりよったりの内容のものばかりでした。
あまり進歩がなかった気がします。

その代わりといってはなんですが本は100冊以上読みました。
特に面白かったのは
「なぜ、間違えたのか?誰もがハマる52の思考の落とし穴」
「コールドリーディング」「影響力の正体」
「ミルトン・エリクソン心理療法」
「医療幻想」「健康第一は間違っている」
「呆韓論」「悪韓論」「犯韓論」「韓国人による恥韓論」
「海賊とよばれた男」
等々です。
特に心理系の本からは沢山の知識やアイデアをもらいましたので、
来年こそは、今年蓄えたものを基に大きく前進したいと思います。

その、来年の目標ですが、3つあります。
ひとつ目は新刊本の出版です。
まだ原稿を書き始めたばかりですが、
今回は「思い込み」と「医療」を絡めたテーマで書いてみようかと思っています。
今までにない、結構面白いものが書けそうです。

二つ目は「がんストレス外来」の開設です。
がんと言っても初期から末期までいろいろですし、
また治療中の患者さんや再発した患者さん、
代替療法に関心のある患者さん等々様々です。
どんな患者さんにせよ、多かれ少なかれ問題を抱え
ストレスを貯めているものです。

そのような様々なストレスを抱えたがん患者さんに対して
少しでも患者さんの抱えている問題が軽減できるように
色々な視点から患者さんとかかわっていくのが「がんストレス外来」です。
これは単に話を聴くだけではなく
患者さんの持っている「心の治癒力」を
うまく引きだすようなかかわりをすることで
抱えている問題を解決するための一歩を
踏み出してもらうサポートをするというのが基本的な方向性です。
来年はこの外来を積極的にやっていきたいと思っています。

最後はブリーフセラピーの緩和医療への導入です。
私のセミナーでは一般の方々にブリーフセラピーを教えていますが、
末期がんの患者さんにはなかなか使いにくいというのが正直なところです。
しかし緩和医療の現場では、
必ずしも患者さんだけが対象となるわけではありません。
家族や医療スタッフ、カンファレンスでの話し合い等々
様々なところで利用可能だと思っています。
ですから今年はブリーフセラピーを緩和医療に取り入れ、
その成果を学会で発表できればと思っています。

どの目標も必ずしも達成が容易とは言えませんが、
私にとってとてはとても興味のあるものばかりですので、
来年一年かけて、楽しみながら取り組んでいきたいと思っています。

それではまた来年お会いしましょう。
皆さんにとってもよい一年でありますように。

プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://holicommu.web.fc2.com

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