延命処置に対する「同意なき同意」

2017年02月22日18:23

緩和ケア病棟に入院される患者さんは
すべて治療困難な末期がんの患者さんなので、
原則として、最後、亡くなりそうな状態になったとしても
救命処置や延命処置はせず、
そのまま静かに見守りながら、
旅立ちの時を迎えることになります。

当然延命処置をしないことは、
事前に本人や家族から同意をとりますが、
ときには、その同意が容易ではないケースもあります。

末期の定義は曖昧なところがありますが、
簡単に言うと、手術や抗がん剤といった積極的な治療をすることが、
かえって状態を悪化させてしまうことが予想される時期のことです。

食事も食べられず、衰弱も甚だしい患者さんは
誰が見ても末期だとわかるのですが、
大抵の場合、亡くなる3ヶ月前までは、
食事も食べられるし旅行にも行けるので、
普通の人と変わらないと言っても過言ではありません。

そのため、末期がんと診断されたから
緩和ケア外来に来ましたと言われても、
一見、元気そうな人を目の前にして、
「最後のときでも延命処置などはしませんがよろしいですか」
などといきなり言うわけにはいきません。

そのようなケースでは、しばらく外来でフォローし、
状態が悪くなれば緩和ケア病棟に入院してもらいますが、
あとはタイミングを見計らって、本人や家族に話をすることになります。

そのため、延命処置をしないという意思表示の確認が曖昧なまま
緩和ケア病棟に入院になることもよくあります。

入院後、家族に延命処置はしないけどもそれでよいかということを
それとはなしに確認すると
大抵の場合は、最後は苦しむようなことだけはないようにして頂ければ
それで結構ですという返事がかえってきます。

しかし必ずしも、そうは思っていない家族もいます。
以前、脳腫瘍で入院された患者さんの夫もそうでした。

85歳の女性でしたが、最近物忘れがひどく、
ふらつくこともあるので変だと言うことで医者に診てもらったところ、
脳腫瘍が見つかりました。

すでに手術ができる状態ではなく、
放射線療法をしたのですが、それも限界があります。
結局もうこれ以上、治療を続けても意味がないと説明を受け、
緩和ケアを紹介され、入院となった患者さんでした。

食事はもちろんのこと、会話もできなくなり、
呼びかけにも徐々に反応しなくなってきました。
娘さんや息子さんは、
このまま亡くなるのもやむを得ないと思っていたのですが、
夫だけが全くそれを受け入れることができませんでした。

とにかく、元気になってもらわなくてはの一点張りで、
死ぬなどということは、全く考えていないようでした。

しかし脳腫瘍の患者さんは、いつ何時呼吸が止まるかわかりませんし、
嘔吐をしてそれを喉に詰めて窒息死することもあるので、
そのような状況になったときに延命処置をするか否かの確認は、
早めにしておくにこしたことはありません。

ところが、意識が下がっている妻に対して、
「早く元気になってな」「先生がよくしてくれるから大丈夫だよ」と
絶えず声をかけている夫を前にすると、
なかなか、最後のときの対応の話ができませんでした。

そんなある日、突然嘔吐をしました。
何度が大量の嘔吐をしたのですが、食事は全くしていないので、
全て胆汁の混ざった緑色の嘔吐物でした。
その後、嘔吐は治まり、再び同じようにずっと寝ている状態に戻りました。

しかし、嘔吐物を詰めて窒息死する可能性もあったわけであり、
そろそろ最後のときの対応につて確認を取っておかないといけないと思い、
次の日に夫と、息子さん、娘さんの三人に対して話をさせて頂きました。

私は「呼吸が止まっても延命処置はせずに、
静かに見守りながら最後のときを迎えさせてあげたいと思っているのですが、
いかがですか?」とたずねました。
息子さんや娘さんは現状を十分に理解しているため、
呼吸が止まったときに心臓マッサージや人工呼吸器をつけるといったことは
全くする必要はないと思っていますので、それで結構ですと言っていました。

ところが夫だけが違いました。
「私は、何とか元気になってもらいたいんです」とそればかりでした。
一通り話を聞いたあと、再び同じことをたずねたのですが、
またしても、質問には答えてくれず、
「どんなことでも、可能性があると思う治療があったらしてあげて下さい」
と言うだけでした。

私は、「呼吸が止まったときに、
静かに見守っていてもよいかどうかの返事をもらわないと、
その時の対応に大変困ることになるので、
今の段階でのご主人のお考えを教えて下さい」と再度確認しました。

すると、ようやく重い口を開き
「先生のおっしゃっていることはよくわかっています。
でも、だからと言って『はい、それでいいです』なんて言えますか」
と言うのです。

この言葉を聞いて、私は理解しました。
夫は頭では、延命処置をしてもどうしようもないということはわかっていたのですが、
延命処置をしないことに同意するということは、
妻が死ぬという現実を認めることになってしまうため、
敢えて返答を避けていたのです。

妻が元気になるという前提で、ずっとかかわってきているにとって、
妻が死ぬなどということは、これっぽっちも考えたくないのです。
だからこそ、延命処置などという死を前提とした話などしたくなかったのです。

頭で理解していても、それに気持ちがついていかないということはよくあります。
がんを告知されたときもそうです。
頭ではわかっても、何かの間違えではないかと思ったりして、
なかなか現実を受け入れることができません。

人間とは、そのような生き物なのです。
自分が認めたくないことは、受け入れるのを拒むものなのです。
たとえそれが紛れもない事実だとわかっていたとしても。
それが人間です。

結局、夫からは
延命処置をしなくても結構です、という返事はもらえませんでした。
でも、それでいいと思いました。

まだ妻が元気になることを強く願っている夫に対して、
これ以上、死を前提とした話をするのは酷だと思ったからです。
多分、生きている限り、死ぬという現実を受け入れることはできないとお思いました。
妻の死という現実に直面して初めて、
その現実を受け入れざるをえなくなるのであり、
その時が来るまでは、もうそれ以上問い詰めることはしまいと思いました。

それから半年の歳月が流れたころ、最後のときは突然やって来ました。
いつものように朝、夫が来るとなんか様子がおかしいとコールがあり、
ナースが訪室するとすでに呼吸が止まっていました。
つい10分前にナースが見たときには普通に呼吸をしていたので、
本当に突然止まったといった状況でした。

顔からは血の気が失せ、手足は徐々に冷たくなっていきます。
しかし、夫はそんなことはものともせず、
今までと同様に「こんなことで負けちゃいかんで」
「先生に早くよくしてもらおうな」と声をかけていました。

夫は、すでに呼吸をしなくなり、冷たくなりつつある状態を見ながらも
そのような声かけをずっとしていました。
ただ、亡くなったことがわからないのではなく、
亡くなったことを認めたくないという思いだったと思います。

呼吸が止まって約2時間後に、家族全員がそろったので
そこで私が死亡確認をしました。
夫はそのときは何も言いませんでしたが、
私が「今までよくばん張ってこられたと思いますよ」と言うと、
「先生には感謝していますし、このご恩は一生忘れません。
でもだからと言って、『はい、わかりました』とは
言えないのが普通じゃないですか」と言っていました。

最後の最後まで夫は、自分の口からは
妻が亡くなったことを認める発言はありませんでした。
でも、それでいいと思っています。
頭ではわかっていても、事実は認めたくないということはあるのですから。

一週間後、夫が病棟にお礼を言いに来ました。
短い感謝の言葉を述べ、そのまま病棟をあとにしました。
まだ悲しみを引きずっているのは明らかでしたが、
その後ろ姿を見ながら、
絶対に受け入れたくない妻の死は、
受け入れざるを得ない現実に直面することでしか、
受け入れることはできなんだなということを、
ひしひしと感じていました。

同時に、同意とは何かということを
あらためて考えさせられたエピソードでもありました。

同意が取れなければ、同意したことにはならないというのが一般的ですが、
このケースでは夫からの延命処置はしなくてもよいという同意は取れませんでした。

しかし、実際に呼吸が止まりかけ、そして止まった状況に立ち会いながらも、
延命処置をしてくれといったことは一切言わず、また騒ぐこともなく、
今までと同じように、冷たくなりつつある妻に対して声かけをしていました。
この事実から、夫は延命処置をしなくてもいいということに
同意してくれていたということがあらためて確認出来ました。

同意書がはびこる医療の世界で、
一般論としてこんなことが通るとは思っていませんが、
相手にこれ以上辛い思いをさせないためにも、
これからも、同意のない同意を取ることも
場合によっては必要だなと思いました。

マニュアルがあると、あたかもそれが絶対であり、
それに反することはしてはいけないという錯覚を
持っている人が少なくありません。

マニュアルはあくまでもマニュアルであり、
もしマニュアルに従わないやり方の方が、
患者さんやその家族にメリットがあると思われた場合には
状況に応じて臨機応変に対応するべきだと私は思っています。

私はそのことを、この患者さんの夫を通して
あらためて教えてもらった気がしました。


スポンサーサイト

希望を失ったとき人は死へと向かう

2016年06月30日05:24

以前、80歳代で胃がんの肺転移で亡くなった男性患者さんがいました。

本人は末期がんだということはわかっていましたし、
生きていても意味がないので早く逝きたいとしきりに言っていました。

しかしその一方で、ちょっとした症状があると気になるようで、
鼻が詰まる、喉が痛いという訴えから、
足がむくんでいる、呼吸がしにくい、体がだるい等々、
様々な症状を訴えていました。

本人曰く、早く死にたいと言っておきながら、
ちょっとでも症状があるとすぐに心配になるなんて
矛盾してますよね、と。

死ねば楽になるという思いから、
早く逝きたいと、つい言ってしまうのでしょうが、
楽になるのであればもう少し生き続けたいという思いも
あったのではないでしょうか。

実は、彼が入院している間に妻が心臓の手術を受けることが
急きょ決まりました。

すると、あれほど早く死にたいと言っていたのに、
妻が手術を終え、元気になるまでは
自分は死ぬわけにはいかないと、
言うことがガラッと変わりました。

そして無事、妻の手術が終わったという連絡を受けると、
ホッと胸をなで下ろし、これで一安心だと喜んでいました。

すると今度は、妻が退院したら
自分も退院したいと言い出すようになりました。
その時は、食事も食べられ、
椅子に座って新聞やテレビを見ることもできたし、
トイレにも一人で行けていたので、
退院することは全く問題ないと思っていました。

その妻が退院後、病院を訪れた際にその思いを妻に伝えたようですが、
術後まだ二周間しか経っておらず、体調も万全ではないため、
帰ってきてもらうと負担が大きいので
もうしばらく待ってくれと妻に言われたとのことでした。

その日以来、がっくり彼は落ち込んでしまいました。
すっかり帰るつもりだったのに、
その見通しが全く立たなくなったことに対する
失望感だったのではないでしょうか。

以来、再び「早く逝きたい」を連発するようになりました。
常に体がえらいと言うようになり、
注射でコロッと逝かせてほしいといった発言も聞かれるようになりました。

もちろん、そんな安楽死をさせるようなことはできるはずもなく、
また、会話ができ、食事が食べられる人が
そう簡単に亡くなるとも思っていませんでした。

ところがそれから10日くらい経ったある日、
部屋のトイレに行こうとした際に転倒してしまいました。
まだ歩けると思っていた本人にしてみればショックだったようです。

その出来事が失望感に拍車をかけたのでしょうか、
以来、状態は急速に悪化、
結局、その4日後に亡くなってしまいました。
家にはしばらく帰れないとわかってから、たった2週間後のことでした。

妻が退院したら自分も退院すると言っていた頃は、とても元気そうであり、
それから一カ月もしないうちに亡くなるとは思ってもみませんでした。

希望が失望に変わると生命エネルギーが急速に減退し、
人を死に追いやるまでになるということを
改めて思い知らされた気がしました。

いかに希望や心を支える存在が大切なのかを
感じずにはいられない忘れられない体験でした。


患者さんと家族の狭間で

2016年02月01日16:53

50歳の女性が亡くなった。
膵がんだった。
元気な頃は何でも自分でやる積極的は女性であったが、
病気になってからは、何かと母親に頼るところがあった。
しかしその一方で、母親の期待にも添わないといけないと思い、
食べたくない食事を無理に食べて、母親を喜ばせていた。

しかし、その無理も限界となり、
あとは楽にさせてもらいたいという思いを主治医に吐露した。
本人の意向を十分に聴いた上で、
母親とご主人、娘さんに彼女の意向を伝え、
今は無理に食べさせたり点滴をしたりして延命しようとするよりは、
本人の苦痛をできるだけ和らげ、本人の思いを大切にしてあげるために
あとは自然の流れに任せ、
静かに見守ってあげる方がよいと思うと家族に話した。

最初は抵抗していた母親も、娘の思いを理解し
最終的には静かに見守る道を選択してくれた。
その後は、ずっと娘の傍に付き添い、
あれこれ心配しながらも、いつも優しく見守ってくれていた。

食事が全く食べられなくなってから1週間ほどした頃から
嘔吐が出現、それが続いていたため
鼻からチューブを入れることにした。
本人も最初は抵抗していたが、このチューブを入れると
吐かないですむようになり楽になると説明、
もしもどうしても嫌なら抜くこともできると話したところ
ようやく了承してくれたため、チューブを入れた。

その後は嘔吐もなくなり、穏やかに過ごせるようになったが、
その2日後に本人から、
このチューブがしんどいので抜いてもらいたいという希望があった。
挿入時にいつでも抜くことができるという約束もしていたので
本人の希望通りチューブを抜いた。

幸い、その後は嘔吐もなく、穏やかに過ごせていた。
状態はかなり悪くなり、傾眠傾向であったが、
時々開眼し、水がほしいと言うこともあった。

チューブを抜いてから5日が経ったある日の9時頃から
再び最初と同じような嘔吐が始まった。
ゴボゴボとこみ上げてくるものがあり、
それが少量ずつ、口角から流れでるという嘔吐であった。
少量ずつではあったが、それが何度もあったため、
家族は、苦しそうだからまたチューブを入れて下さいと言ってきた。

私は、患者さんのところに行き、もう一度チューブを入れるかと尋ねると、
かすかではあるが、首を横に振ったのがはっきりとわかった。
その光景は、家族もナースも見ていたため、
本人が嫌というのだから、今は入れるべきではないと判断、
そのまま病室をあとにした。

その後何度か病室を訪れたが状態に変わりはなかった。
母親やご主人は、辛そうだからチューブを入れて欲しいと言っていたが、
再度本人に尋ねると、今度ははっきりと「いや」と言ったので、
結局、そのまま見守ることにした。

その後も、口からはダラダラと嘔吐物が流れ出ていたが、
傾眠状態でもうろうとしていたとこともあり、
嘔吐物を出すとき以外の表情は穏やかであった。

しかし、しばしば嘔吐する娘を見ていた母親は、そうは思わなかった。
辛そうだし、何とかしてほしいと、何度もナースには言っていた。
かなり状態も悪く、血圧も70台まで低下、チューブを入れるとしても、
入れる際に呼吸が止まる危険性があることも説明したが
やはり、目の前で吐いている娘を見るに忍びなかったのだと思う。

私は母親に説明をした。
娘さんはチューブを入れられるよりは、
こうして自然と上がってくるものを吐く方がまだいいと思っているようですし、
寝ながら、口角から流れ出るような嘔吐なので、
通常の嘔吐に比べると、上がってきやすく、出しやすいので、
みんなが思うほど、本人はしんどくないのかもしれませんと話した。

さらに、本人を見ている家族が辛いのであって、それは本人の辛さとは別であり、
本人が、チューブを入れるのを拒むということは、
今の状態は皆さんが感じる程辛くはないのかもしれないので、
とりあえず、もうしばらくこのまま見守ってあげる方がよいという説明もした。

結局、吐き始めてから12時間後にこの患者さんは静かに息を引き取った。
しかし、母親からすれば、緩和ケアは症状を楽にしてくれるところのはずなのに、
全然、楽にならなかったと不満の思いを募らせながらの最後だった。
母親からすれば、きっと納得がいかなかったのだろうと思う。

このようなケースは過去にも何度かあった。
いつも難しい判断を迫られる。
本人の思いと家族の思いが正反対の場合は、どうすべきか迷うところだ。
本人は点滴をしてほしくないが、家族は点滴をして欲しいと言う。
本人は何もしないで欲しいと言うが、家族は延命をして欲しいと言う。

今回のケースも、本人の意向と家族の意向が正反対であったが、
今までと多少性格を異にするケースであったと思う。
点滴や延命をしないというのは、基本的に患者の苦痛を軽減することになり、
なおかつ本人もそれを望んでいるのであれば、
医学的にもあまり問題にはならない。

しかし、今回のケースはチューブを入れるときの苦痛は多少あるが、
その後は嘔吐がなくなり楽になることはある程度わかっていた。
しかし本人は、一度経験しているチューブの挿入を拒否した。
チューブを入れることによる楽さよりも、入れない方の楽さを選んだのである。
実際に、どちらが楽なのかはわからないが、
本人は入れない方をはっきりと選択したのである。
そのような選択をしたのであれば、
本人の意向を無視して、チューブを入れるわけにはいかない。

しかし、家族の苦痛を考えると話しはそう簡単ではなくなる。
建前上は、患者と家族の苦痛に対処するのが緩和ケアであり、
チューブを入れた方が患者は楽になるであろうことも医学的には予想されるため、
本人の希望はあるものの、
家族の苦痛を和らげ、本人の嘔吐の苦しみを和らげるという意味では
本人の意向に反して、チューブを入れるという選択肢もないわけではなかった。

本人が亡くなったあとに残されるのは家族である。
その家族が、ずっと辛い思いを引きずりながら
これから生き続ける可能性もあるということを考えると、
果たして今回の選択は正しかったのか迷うところではある。

苦しんでいる(苦しそうに見える)本人の姿を見ているのは辛いことだが、
誰が辛いのかというと、やはり本人ではなく家族の方なのである。
家族の苦痛に重きを置くのであれば、
本人の意向に反するがチューブを入れる方がよいだろうし、
本人の思いを大切にするのであれば、チューブは入れない方がよい。

理由はどうであれ、また本人のこだわりもあるかもしれないが、
私としては、最後の望くらいは叶えてあげたいと思いの方が強い。
ただしその場合も、家族の苦悩がもう少し楽になるような
説明をすることは必要だったかもしれない。

いつも思うことではあるが、
相反する二人の意見の狭間に立たされるのは辛いものがある。
判断に迷いながら選択をしていくのである。
正解はない。人生と同じだ。

よくある「稀なこと」

2013年02月22日19:36

先日、緩和ケア病棟に入院していた70歳代の女性が、
元気になって退院をされました。
最初この患者さんは、調子が悪いといって病院で調べてもらったところ、
腹水や胸水が溜まっていることがわかりました。
以前にもがんを患っていたため、その再発かと思われましたが、
調べてみるとそうではありませんでした。

CTの検査では、お腹の中のリンパ節が累々と腫れているのがわかり、
腹膜にもツブツブを認め、腹水も大量に溜まっていたので、
すでにがんがお腹全体に広がっているがん性腹膜炎と診断されました。
卵巣がんのときに上昇するCA125という腫瘍マーカーは
正常値は35以下なのですが、この患者さんは329と高値でした。
しかしMR検査をしても卵巣がんは見つかりませんでした。
その後も色々調べたのですが、原因となるがんが見つからず、
結局、原発不明のがんによるがん性腹膜炎と診断されました。

すでに治療は困難という判断もあり、緩和ケアに紹介されてきたのですが、
入院後は特に治療的なことをすることもなく、
ただ日々の経過を見守るだけだったのですが、
なぜか、日に日に食事が食べられるようになり、
腹水によるお腹の張りも次第に軽減していったのです。
末期のがん患者さんでも、時々こんなケースはあるので、
もうしばらく様子を見ていることにしました。

しかし入院から2ヶ月経っても元気であり、特に苦痛症状もないので
本人がそろそろ家に帰りたいと言い出したのです。
引き留める理由もないので、退院をしてもらうことにしました。
その前にとりあえず現状を把握するためにCTと採血の検査をしました。
すると、入院時に大量にあった胸水や腹水はすっかりなくなっており、
リンパ節の腫れや腹膜のツブツブも消え、
画像上、がん性腹膜炎を疑う所見は全く見られませんでした。
おまけに腫瘍マーカーのCA125も20と正常値になっていました。

この患者さんの場合、細胞レベルでの検査をしていないため、
がんだという絶対的な確証はないのですが、
少なくともCTや腫瘍マーカーの所見から、
がんであったことが強く疑われるケースではあります。
もしもがんであったならば、まさしくがんが消えたということになりますが、
ここは確証がない限り、可能性としか言いようがありません。

私は緩和ケア医として、この10年間で
約1,500人のがん患者さんを診てきましたが、
そのうち一時的であれ、がんが良くなった患者さんや、
末期がんと診断されてから8年以上も生き続けた患者さんなど、
通常は考えられないと思われる末期がんの患者さんが今までに6人おり、
もしこの患者さんを含めるとしたならば7人目になります。

1,500人のうちの7人と言うととても少ないように思うかもしれませんが、
約200人に1人くらいの割合で、末期がんと言われた患者さんが
なぜか良くなったり、長期にわたって落ち着いていたりするのです。
末期のがん患者さんは、次第に状態が悪化し直に亡くなるというのが常識です。
そんな人が落ち着いてしまうのですから、やはり稀なことなのかもしれません。
ただし、その稀さは10万人に1人ではなく200人に1人という、
とても高頻度に起こる「稀なこと」なのです。
もっと素直な言い方をするならば、がんが落ち着いてしまうという現象は
稀なことだと思われていますが、実は意外とよく起こる現象なのです。

一方、厚労省の発表によると日本におけるインフルエンザによる死亡率は
人口10万対死亡率は0.16%とのことでした。
罹患率は3~7%程度なので、人口の5%が罹患すると仮定し計算すると、
インフルエンザにかかって亡くなる人数は
患者200人に対して0.000064人ということになります。
つまり末期がんが一時的であれ落ち着いてしまうという現象よりも、
15,000倍も起こり難いことなのです。

また、造影CTという検査を受ける際には
同意書にサインをしてもらうことになっていますが、
そこには40万人に1人の割合で死ぬことがあると記されています。
これは患者さん200人に対して0.0005人が亡くなるということです。
これもまた、末期がんの患者さんが落ち着いてしまうことよりも、
2,000倍も起こり難いことだということを意味しています。

ところが、このように死の危険性があるという話しは、
極めて稀なことであるにもかかわらず、必ずと言ってよいほど
医者は患者さんにそのことを説明します。
また、実際にそのようなことが起これば当然ニュースにも流れます。

一方、200人に1人くらいは
末期がんでも落ち着いてしまうことがあるという話しは
それらに比べればはるかに起こりやすい現象であり、
なおかつ患者さんも、是非とも聞きたいと思う情報であるにも関わらず、
これらのことを説明する医者はほとんどいません。
患者さんを怖がらせる情報はかなり稀なことでも話しをし、
患者さんが喜ぶような情報は、よく起こることでも話しをしない。
なんともおかしな常識が医療界にはあるのです。

もっとも医者は、がんが自然とよくなるという話しにはあまり興味がないので、
当然、そんな話しを持ち出すこともないのかもしれません。
がんは何か治療をしなければよくならないと思っているので、
何もしないのによくなってしまったという話しを聞いても信じられないのでしょう。

末期のがん患者さんであったとしても、その人の持っている自己治癒力で
がんが自ずとよくなったり、思いのほか落ち着いてしまったいするという現象は
実は、それほど珍しいことではないということを、
緩和ケアの10年の経験を通して、はっきりと自覚できるようになりました。
是非一般の医者にも、この「事実」にもっと目を向けてもらい、
患者さんを不安にさせるような「稀な話し」はほどほどにして、
患者さんに喜びをもたらすような「よくある話し」を
もっと積極的にしてもらえるような、
そんな医者が1人でも多く現れることを願わずにはおれません。

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

苦痛を取り除くことは、よいことなのか?

2009年08月28日08:15

今、40代の脳腫瘍の女性が入院している。
入院当初は、まだ何とかしゃべれたが、
病状が進むにつれ、次第に意思疎通ができなくなってきた。

その彼女の看病のため、年老いた両親は毎日病院に来る。
最初は、食事も何とか食べてくれていたので、
それを少しずつ食べさせてあげるのが楽しみだった。
「今日は、全部食べてくれました」と、
父親が笑顔で報告してくれるのを聞くたびに
こちらも、心が和んでいた。

昔はとっても厳しくこわかった父親だったそうだ。
彼女に食事を食べさせている光景を見る限り、
とてもそんなようには思えないが、
彼女が脳腫瘍だとわかってから父親はがらっと変わり、
とても優しくなったという。

次第に、病状が悪化して行くにつれ、
食事も取れなくなり、会話も成り立たなくなってきた。
脳の障害があるため、言いたいことがあっても、
違った言葉が出てきたり、同じ言葉のくり返しになったりもするのだ。
そのため、何が言いたいのかがよく分からないことも多い。

そんな彼女が、時々しんどそうにして、うめき声を発する。
すると母親は、すぐさま彼女の胸を撫で始める。
「こうすると、楽になるのか、うめき声が止まるんです」
うれしそうに、そう言いながら、小さくやせ衰えた手で、
彼女の胸の上にて手を置き、ゆっくりと円を描くように撫でていた。

もともと脚の方にも痛みがあったため、
痛み止めの皮下注射を持続的に行っていた。
彼女が「痛い」「痛い」というたびに、
私たちは、痛み止めの量を増やして調整しようと思うのだが、
両親は、あまりそれには積極的ではなかった。

「痛い」と言っていても、こうして撫でていると
すやすや眠っていくんです。
そんなことを言いながら、母親はいつも彼女の手足をさすっていた。

痛み止めの量を増やすことへに抵抗がある患者さんや家族は多い。
しかし実際には痛み止めを増やすことで、痛みが楽になることの方が
患者さんにとっても、それを見ている家族にとっても
よいに決まっていると、それまでは思っていた。
しかしそれは、自分の勝手な思いこみであると、
この両親に出会って気づいた。

彼女の病状が進行し、意識レベルが次第に低下するにつれ
ほとんど苦痛を訴えることはなくなってきた。
私はこれで患者さんが苦しむことがなくなったので、よかったと思っていたが、
娘の傍らに佇んで、寂しそうに彼女を見つめる母親の姿を見て
必ずしも、今の状態がいいとは言えないかもしれないと思うようになったのだ。

今までは、彼女がしんどそうにしていると、すぐさま両親が
彼女の傍でずっと体を撫でてあげた。
そうすると、いつの間にか、安心したようにウトウトし始める。
会話が成り立たなくても、これで親子の交流は成り立っていたのだ。

ところが、その訴えがなくなってしまったのだ。
体を撫でることは、今でもよくしているが、
両親のその姿は、どこか寂しそうだ。
「前みたいに、痛いって言わなくなったのはよかったんですが、
でも、何も言ってくれないのも、すごく寂しいですね」
この母親の言葉が、すべてを物語っているように思えた。

テーマ : 気付き・・・そして学び
ジャンル : 心と身体


プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://holicommu.web.fc2.com

最新記事

検索フォーム

QRコード

QRコード