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人はみな不完全で未熟な存在

2018年09月02日17:44

私は、人はみな不完全で未熟な存在だと思っています。
どんな偉い人でも、
人間としての欠点を持っているのが普通ですし、
愛だけ善だけで生きていけるほど、
世の中は甘くないと思っています。
一見、聖人君子のような人格者のように見える人でも、
家庭内ではとんでもない暴君だったりするケースも
少なからずあります。
人間なんてそんなもんです。

また、自分を磨き、高め、
成長させることの大切さもよく言われます。
私も、それは大切だと思うのですが、
ただ、高い目標を掲げ、
がむしゃらに頑張っている人の中には、
空回りや挫折を繰り返して、
なかなか前に進まない人も少なくありません。
気張りすぎても頑張りすぎてもうまくいかないのです。

その点、私なんかは結構気楽に、
かつ周りのことをあまり気にすることなく、
自由気ままにやっています。

例えば、服装はほとんど気にしませんし、
身だしなみもかなりいい加減です。
ひげの剃り残しは当たり前ですし、
穴の空いた靴下を履いていても気になりません。

電車に乗るときは、必ず4人掛けの椅子に座り、
靴を脱いで前の座席に足を載せて座っています。
傍から見たら、かなり行儀が悪いと思われるでしょうが、
この姿勢が一番楽にすごせるので、
いつもそうしています。
もちろん、空いているときだけですけど。

よく飲みに行ったりもしますが、
一般的な居酒屋が一番居心地よいです。
たまに料亭やホテルのコース料理などを
食べる機会もありますが、
この畏まった感じが、窮屈で嫌いです。
私はそんな人間です。

私が定期的に開催している
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーでも
参加者の皆さんから、
「セミナーの雰囲気がとてもゆるいから居心地がいい」
とよく言って頂きます。

またセミナーでは、私の身近で起きた出来事や、
頭にきたこと、失敗してしまったことなどについても、
よく話します。

家庭では妻とよく喧嘩をしますし、
病棟でもナースと言い合いにあることもしばしばです。
でも、それが人間だと思っていますし、
またそれが私の生の姿でもあります。

ただ、そのような話をオープンにした方が、
参加者は逆にホッとするようです。
参加者の人たちからすれば、
コミュニケーションを専門に教えている先生は、
どんな場面であってもコミュニケーションを上手に取り、
喧嘩やもめ事なんて、ほとんどないに違いないという
思い込みがあるようです。

しかし実際には、私もごく普通の人間なので、
皆さんと同様、全てにおいてうまく
コミュニケーションがとれるわけではありません。
頭に来ることやむかつくことだってよくあります。

そんな自分であることをはっきり伝えることで、
真実みや人間らしさが伝わるせいか、
逆に信頼感や安心感を持ってもらえるようです。

自分は欠点も多く、まだまだ未成熟な人間だということを
前提にして話をする方が、
ヘンな隠し立てをしなくてもすみますし、
自分を無理に飾り立てることもないので、
ストレスがたまらなないしとても楽なのです。
いくら装っても、そんなものすぐにばれます。

時々、一生懸命でまじめな参加者の方から、
「先生のように生きられたら、本当に楽だろうなって思います」
と言われることがありますが、
確かに、そう思います。実際楽ですから。

ただ、いつもお気楽に過ごしていくだけでは、
どこか物足りなさや、成長しているという実感が持てません。
だからこそ、いい加減さやお気楽さをベースに置きながらも、
自分を変えるために、やれそうなことがあれば、
それにはチャレンジしていこうと思っています。

あくまでも、これならできるかもしれないと
思えることにチャレンジするのであって、
むやみやたらと高い目標を立てて、
それに向かってが一路邁進するなどという 
しんどいことはしたくありません。

そこが私は重要だと思っています。
決して理想論や高い目標を追い求めるのではなく、
身の丈にあったことをやっていけば
それでよいと思っているのです。

また、自分は不完全で未熟な人間であることを自覚しつつ、
気楽に振る舞いながらも、
その上で、自分を成長させる上で必要だと思うことは
無理をしない程度に自分のペースでやっていく。
そんな生き方が私には合っています。

皆さんはいかがでしょうか。


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医学部の学生実習

2018年07月04日18:08

毎年、学生実習があり、
私がいる緩和ケア病棟にも
医学部の学生が実習に来ます。

彼ら、彼女らに、患者さんとの関わりを通して、
緩和ケアの考え方や医療におけるものの見方などについて
毎回話をしたり、質問に答えたりしています。

そこでいつも感じるのは、学生のうちはみんな、
患者さんを「人」としてかかわる視点を持っているのに、
医者になると患者さんのことを「病んだ肉体」と
見なすようになってしまうんだなということです。

学生の時は、医学の知識があると言っても、
まだ実際の経験がないので、患者さんに対する見方は、
ほとんど一般の人と変わりません。

つまり、患者さんの思いを大切にするとか、
こちらの考えを一方的に押しつけてはいけないとか、
ごく当たり前な考え方を持っています。

しかし医者になり、実際に治療に携わるようになると
その思いはどこかに飛んでしまい、
自分が身につけた医学の知識や
先輩医師に教えてもらったことが絶対で、
患者さんという、医学の素人が持っている思いや考えなどには
あまり耳を貸さなくなってしまうのです。

なぜならば、医学部で学ぶことは膨大であり、
そのほとんどは、当然のことながら病気に関することです。
病気の種類や原因、診断方法、治療の仕方など事細かく学び、
医者になればさらに専門的な勉強をしながら
実際の治療にあたることになります。

そのような、「病気」のことしか頭にない環境の中で
長年過ごすことになるので、
患者さんが「病んだ肉体」にしか見えなくなるのも
無理からぬことだと思います。

医学部の環境もそうですし、
また医者になってやることもそうですが、
とにかく患者さんを診ると、
ほとんど「病気」のことにしか目が向かず、
患者さんの思いや家族の心配などは、
病気を治すこととは関係ないと思っているのか、
スルーされてしまうことがしばしばです。

そんな、病気にしか目を向けない医者に対して
時々、文句を言ったり、怒り出したりする患者さんもいます。
そんな患者さんは「へんな患者」「厄介な患者」
「モンスターペイシェント」と呼ばれるようになり、
医者からはかなり面倒がられ、嫌われることになります。

患者さんの思いに目を向けず、
自分の思いを一方的に患者さんに押しつけていることが、
患者さんの怒りを買っているというのに、
そのことに気づける医者はほとんどいません。

その一方で、中には患者さんの思いを大切にするという感覚に
少しずつ目覚めていく医者がいるのも事実です。
最初の10年くらいは、治療をすることに夢中で、
なかなかそのような思いにはならないのですが、
ある程度経験を積んだ頃に、ちょっと痛い目にあったり、
医療ミスで患者さんを悲しませたりした経験をすると、
それをきっかけに、患者さんの思いを大切にすることの重要性に
気づく医者がいるということです。

もっとも、そのようなことを考え、
自分の在り方を変えなくてはと思ってくれる医者は
かなり善良な医者です。
どんな経験をしても、そのようなことなど考えることなく、
最後まで患者さんを「病んだ肉体」にしか見えない医者も
たくさんいます。

病院実習に来る医学部の学生には
今のような話をよくするのですが、
今日話したことは、10年くらい後になって
思い出してもらったらいいと言っています。

と言うのは、学生の時には、
患者さんの思いを大切にするというのは
あまりにも当たり前すぎて、
その重要性がまだピンときません。

さらに医者になったら、しばらくは医療に専念し、
先ずは一人前の医者になってもらわないと話しになりません。
ですから、とりあえず5~10年は
一生懸命に経験を積むことが必要です。

その頃には、色々悩んだり考えたり
壁にぶつかったりすることもあるので、
そのときに、私の話を思いだしてくれたら、
それで十分だと言っています。

実習に来てくれた学生が、将来行き詰まったときに
私の話を思い出してくれることを願いつつ、
これからも学生実習を続けて行こうと思っています。



テーマ : 思うこと
ジャンル : その他

孤独のすすめ

2018年03月27日04:56

私はセミナーや講演では
当然のごとくよくしゃべります。
その後、みんなでお酒を飲むのが好きで、
そのときも大笑いしながらよくしゃべります。

そんな私を見て皆さんは私のことを
明るくて社交的だとか話し好きだと
思っている人が多いようですが、
実は、私は一人でいる方が好きなんです。

昔から無口な方でしたし、
特に予備校時代などは、
両親と話をすることもなかったので、
夜寝る前に「あれ、今日ってしゃべったっけ?」と
思うことがしばしばあったほどです。
それくらい普段は人と積極的に
かかわることもしませんでしたし、
もちろん話をすることもありませんでした。

さすがに大学時代や研修医時代は、
人と話をする機会は多くなりました。
また、心療内科医時代は、仕事の関係もあり、
さらにしゃべる機会が増えましたし、
それは今も同じです。

ただ今もそうですが、
基本的に自分は一人でいるのが好きなんです。
“孤独を愛する”と言うと
聞こえがいいかもしれませんが、
それくらい一人の時間を大切に思っています。

なぜかと言うと、一人でいると
自由に色々なことができるからです。
まず、気楽に過ごすことができます。
周囲に気を遣う必要はないので、
その間は解放感に満ちあふれています。

また本を読んだり、熟考したりして
考えをまとめたりするのが好きなのですが、
当然、それらも一人のときにしかできません。
ブログを書いたり勉強したりするときも同様です。
何かを集中してやるときには
一人でいる空間が最高の環境になります。

このように一人でいる時間は、私にとって
たくさんのことをインプットしたり
アウトプットしたりする機会であり、
自分の学びや成長に欠かせない時間なのです。

もちろん仕事もしているので、
病棟や外来で患者さんやスタッフと
話をしているときは
当然一人ではないのですが、
やるべき仕事が一段落着けば、
自分の机に戻り、自分のやりたいことをして
孤独を楽しんでいます。

休憩時間やちょっと空き時間ができたら
仲間と話をしたり雑談をしたりして
過ごす人もいますが、
私はそのような時間をできるだけ
自分の時間として使いたいので、
みんなと群れたりはしません。
そんなときも、
自分は孤独が好きなんだなと思う瞬間です。

また映画もよく見るのですが、
これも決まって一人です。
ちょっとしたシーンに感動して
涙することも多いのですが、
もしも誰かと一緒に見に行ったとしたならば、
涙を拭う恥ずかしさの方が勝ってしまい、
無意識に涙を堪えてしまうと思うからです。
それが私は嫌なので、
基本的には映画は一人で見ると決めています。
その方が、遠慮なく
感動を味わえるというわけです。

また、何もない休日のときは、
外で昼食を取りながら
一人でビールや日本酒を
傾けていることも多いのですが、
ほろ酔い気分でボーッとして過ごす時間も、
私にとっては至福とときなのです。

このように一人でいることには、
多大なメリットがあり、
最も大切にしたい時間なのですが、
ひとつだけ例外があります。
それは夜に飲むときです。

昼飲みは、ほろ酔い気分程度しか飲まないので、
一人で過ごす方が幸せを感じるのですが、
ある程度お酒が回ってくると、
人と話をしたくなるし、
楽しく盛り上がりたくなります。
ですから、夜はみんなと一緒に
ワイワイ飲むのが好きです。

逆に、夜に一人で飲まざるを得ないようなときは
さすがに寂しさを感じます。
日中にやるべきことをやったという満足感から、
夜くらいは十分に楽しみたいという思いが
出てくるのかもしれません。

そんなわけで、日中は一人を楽しみ、
夜はつながりを楽しむ。
そんな生活が私にはあっているみたいです。

皆さんも、一人でいる時間を十分に有効利用し、
孤独を満喫してみませんか。


医療の常識は変わる

2018年01月26日06:14

私は、この世の中には
「絶対に正しい」ということもなければ、
「絶対に間違っている」ということもないと
思っています。

西洋医学の治療法や考え方も
私が医者になった頃に比べると
ずいぶんと変わりました。

その最たるものが消毒に対する考え方です。
昔は傷口の消毒やガーゼ交換は
毎日するというのが常識でした。
しかし、今はそれが意味のないどころか
かえって逆効果になるということで
傷口や手術後の傷跡に対する消毒は
しないようになってきています。

また、一般の手術室に入るのも
昔は靴下や履き物は
すべて清潔なものに換えてから
手術室に入っていましたが、
今は外履きのままでOKです
靴を履き替えることの意味が無いことが
わかったからです。

心肺蘇生の現実を見ても
昔と今ではずいぶんと変わりました。
私が医者になった頃は、
心臓が止まりかけたら
必ず心臓マッサージ(ちなみにこれも、
「胸骨圧迫」という名称に変わりました)などの
心肺蘇生をするのが常識でした。

末期がんであろうが、
高齢で衰弱死しそうな患者さんであろうが、
全く意味がないとわかっていながらも
心臓マッサージをするものでした。

昔は、死=敗北でしたし、
一秒でも長く生かすことが
医学の使命だと思われていたので
蘇生の可能性がないとわかっていても、
形式的にでも必ず
心臓マッサージをしていたのです。

それが今では、末期がんの最後のときに
心臓マッサージをすることは
ほとんどなくなりました。
もっとも、事前に本人や家族から
そのようなことはしないという同意を
得るようになったこともありますが、
それ自体が大きな変化と言えます。

このように医療の常識は
どんどん変わっていきます。
常識とは「正しいこと」ではなく、
多くの人が「正しいと思い込んでいること」
であるにすぎません。

もちろんこれは、
医療の世界だけのことではありません。
一般の人たちが信頼している医療ですら、
常識は変わるのですから、
世の中のすべてのことは、
時間の経過や時と場所、文化によって
常識は変わるものだということを、
また常識は非常識に変わるものだということを
私たちはしっかりと
認識しておく必要があると私は思っています。


テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

権威のお話し

2017年10月04日07:14

権威の影響力は絶大です。
うまく使えば、人を惹きつけ、
安心感や喜びを与えることができますが、
悪用すれば、人を陥れ不幸にすることも
容易にできてしまうのが権威です。

先生と呼ばれる立場の人、
特に医者や弁護士、政治家などは
誰もが、その肩書きを知った瞬間、
いきなり態度が変わり、
相手は低姿勢になってしまうという、
まさに権威の象徴的存在です。

私は普段病院で白衣は着ません。
そのため、病室で初めて私と会った
患者さんや家族は決まって、
この人誰だ?というような顔をします。
ときどき親戚のおじさんに間違われたりもします。

でも、医者であることを名乗ると、
いきなり態度が和らぎ、
ペコペコとお辞儀をし始めるのが常です。

以前、こんなこともありました。
入院してきた90歳の患者さんが、
以前から飲んでいる降圧剤を
そのまま飲み続けていました。

ところが、その患者さんは末期がんであり
そう長くはないと思われる状態であり、
なおかつ入院してきたときの血圧が
110/60mmHgしかなかったため、
当然2種類飲んでいた降圧剤は中止しました。

ところが、それに気づいた娘さんが
朝方、どうして降圧剤を切ったんですか!
何の説明も聞いてません!と、えらい剣幕で怒って
詰め所に来たという報告をナースから受けました。

その娘さんは仕事があったため
すぐさま病院を出たのですが、
夕方来るのでそのときに主治医から
説明を受けたいと言っていたと、
ナースから聞きました。

夕方、娘さんが来られたので
私は病室に行きました。
さぞかし怒っているのかと思いきや、
私の顔を見るなり、
「先生が中止するのがいいと
判断されて切ったのでしょうから、
それでよいと思っています」と、
私の思いとは裏腹にとても低姿勢でした。

私は、今の状態で降圧剤を飲むのは
かえって危険であると判断したので
薬は中止したと説明したところ、
娘さんも笑顔で、
「はい、わかりました、
あとはよろしくお願いします」と言って
穏やかな表情で私の話を聞いてくれました。

一般の人は、
医者の言うことは正しいと
思っているところがあります。
同じ説明をナースがしても
本当かなと、半信半疑なのですが、
医者が説明すると納得してしまうのです。
まさにこれが権威の力です。

ましてや本を書いている有名な先生に
診てもらったとなると、
患者さんも期待感に胸を膨らまして来るので、
その段階ですでに
半分はよくなってしまっているようなものです。

権威があることと偉いこと、すばらしいこととは
全く別のことなのですが、
どうも人は権威に弱いようです。

まあ、自分がうれしくなり、
エネルギーをもらえるのであれば
全く問題ありませんが、
権威を悪用して、人を苦しめることで
金儲けをしているような人もいるので
ご用心、ご用心、です。

プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://kuromarutakaharu.com

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