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医学部の学生実習

2018年07月04日18:08

毎年、学生実習があり、
私がいる緩和ケア病棟にも
医学部の学生が実習に来ます。

彼ら、彼女らに、患者さんとの関わりを通して、
緩和ケアの考え方や医療におけるものの見方などについて
毎回話をしたり、質問に答えたりしています。

そこでいつも感じるのは、学生のうちはみんな、
患者さんを「人」としてかかわる視点を持っているのに、
医者になると患者さんのことを「病んだ肉体」と
見なすようになってしまうんだなということです。

学生の時は、医学の知識があると言っても、
まだ実際の経験がないので、患者さんに対する見方は、
ほとんど一般の人と変わりません。

つまり、患者さんの思いを大切にするとか、
こちらの考えを一方的に押しつけてはいけないとか、
ごく当たり前な考え方を持っています。

しかし医者になり、実際に治療に携わるようになると
その思いはどこかに飛んでしまい、
自分が身につけた医学の知識や
先輩医師に教えてもらったことが絶対で、
患者さんという、医学の素人が持っている思いや考えなどには
あまり耳を貸さなくなってしまうのです。

なぜならば、医学部で学ぶことは膨大であり、
そのほとんどは、当然のことながら病気に関することです。
病気の種類や原因、診断方法、治療の仕方など事細かく学び、
医者になればさらに専門的な勉強をしながら
実際の治療にあたることになります。

そのような、「病気」のことしか頭にない環境の中で
長年過ごすことになるので、
患者さんが「病んだ肉体」にしか見えなくなるのも
無理からぬことだと思います。

医学部の環境もそうですし、
また医者になってやることもそうですが、
とにかく患者さんを診ると、
ほとんど「病気」のことにしか目が向かず、
患者さんの思いや家族の心配などは、
病気を治すこととは関係ないと思っているのか、
スルーされてしまうことがしばしばです。

そんな、病気にしか目を向けない医者に対して
時々、文句を言ったり、怒り出したりする患者さんもいます。
そんな患者さんは「へんな患者」「厄介な患者」
「モンスターペイシェント」と呼ばれるようになり、
医者からはかなり面倒がられ、嫌われることになります。

患者さんの思いに目を向けず、
自分の思いを一方的に患者さんに押しつけていることが、
患者さんの怒りを買っているというのに、
そのことに気づける医者はほとんどいません。

その一方で、中には患者さんの思いを大切にするという感覚に
少しずつ目覚めていく医者がいるのも事実です。
最初の10年くらいは、治療をすることに夢中で、
なかなかそのような思いにはならないのですが、
ある程度経験を積んだ頃に、ちょっと痛い目にあったり、
医療ミスで患者さんを悲しませたりした経験をすると、
それをきっかけに、患者さんの思いを大切にすることの重要性に
気づく医者がいるということです。

もっとも、そのようなことを考え、
自分の在り方を変えなくてはと思ってくれる医者は
かなり善良な医者です。
どんな経験をしても、そのようなことなど考えることなく、
最後まで患者さんを「病んだ肉体」にしか見えない医者も
たくさんいます。

病院実習に来る医学部の学生には
今のような話をよくするのですが、
今日話したことは、10年くらい後になって
思い出してもらったらいいと言っています。

と言うのは、学生の時には、
患者さんの思いを大切にするというのは
あまりにも当たり前すぎて、
その重要性がまだピンときません。

さらに医者になったら、しばらくは医療に専念し、
先ずは一人前の医者になってもらわないと話しになりません。
ですから、とりあえず5~10年は
一生懸命に経験を積むことが必要です。

その頃には、色々悩んだり考えたり
壁にぶつかったりすることもあるので、
そのときに、私の話を思いだしてくれたら、
それで十分だと言っています。

実習に来てくれた学生が、将来行き詰まったときに
私の話を思い出してくれることを願いつつ、
これからも学生実習を続けて行こうと思っています。



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テーマ : 思うこと
ジャンル : その他

孤独のすすめ

2018年03月27日04:56

私はセミナーや講演では
当然のごとくよくしゃべります。
その後、みんなでお酒を飲むのが好きで、
そのときも大笑いしながらよくしゃべります。

そんな私を見て皆さんは私のことを
明るくて社交的だとか話し好きだと
思っている人が多いようですが、
実は、私は一人でいる方が好きなんです。

昔から無口な方でしたし、
特に予備校時代などは、
両親と話をすることもなかったので、
夜寝る前に「あれ、今日ってしゃべったっけ?」と
思うことがしばしばあったほどです。
それくらい普段は人と積極的に
かかわることもしませんでしたし、
もちろん話をすることもありませんでした。

さすがに大学時代や研修医時代は、
人と話をする機会は多くなりました。
また、心療内科医時代は、仕事の関係もあり、
さらにしゃべる機会が増えましたし、
それは今も同じです。

ただ今もそうですが、
基本的に自分は一人でいるのが好きなんです。
“孤独を愛する”と言うと
聞こえがいいかもしれませんが、
それくらい一人の時間を大切に思っています。

なぜかと言うと、一人でいると
自由に色々なことができるからです。
まず、気楽に過ごすことができます。
周囲に気を遣う必要はないので、
その間は解放感に満ちあふれています。

また本を読んだり、熟考したりして
考えをまとめたりするのが好きなのですが、
当然、それらも一人のときにしかできません。
ブログを書いたり勉強したりするときも同様です。
何かを集中してやるときには
一人でいる空間が最高の環境になります。

このように一人でいる時間は、私にとって
たくさんのことをインプットしたり
アウトプットしたりする機会であり、
自分の学びや成長に欠かせない時間なのです。

もちろん仕事もしているので、
病棟や外来で患者さんやスタッフと
話をしているときは
当然一人ではないのですが、
やるべき仕事が一段落着けば、
自分の机に戻り、自分のやりたいことをして
孤独を楽しんでいます。

休憩時間やちょっと空き時間ができたら
仲間と話をしたり雑談をしたりして
過ごす人もいますが、
私はそのような時間をできるだけ
自分の時間として使いたいので、
みんなと群れたりはしません。
そんなときも、
自分は孤独が好きなんだなと思う瞬間です。

また映画もよく見るのですが、
これも決まって一人です。
ちょっとしたシーンに感動して
涙することも多いのですが、
もしも誰かと一緒に見に行ったとしたならば、
涙を拭う恥ずかしさの方が勝ってしまい、
無意識に涙を堪えてしまうと思うからです。
それが私は嫌なので、
基本的には映画は一人で見ると決めています。
その方が、遠慮なく
感動を味わえるというわけです。

また、何もない休日のときは、
外で昼食を取りながら
一人でビールや日本酒を
傾けていることも多いのですが、
ほろ酔い気分でボーッとして過ごす時間も、
私にとっては至福とときなのです。

このように一人でいることには、
多大なメリットがあり、
最も大切にしたい時間なのですが、
ひとつだけ例外があります。
それは夜に飲むときです。

昼飲みは、ほろ酔い気分程度しか飲まないので、
一人で過ごす方が幸せを感じるのですが、
ある程度お酒が回ってくると、
人と話をしたくなるし、
楽しく盛り上がりたくなります。
ですから、夜はみんなと一緒に
ワイワイ飲むのが好きです。

逆に、夜に一人で飲まざるを得ないようなときは
さすがに寂しさを感じます。
日中にやるべきことをやったという満足感から、
夜くらいは十分に楽しみたいという思いが
出てくるのかもしれません。

そんなわけで、日中は一人を楽しみ、
夜はつながりを楽しむ。
そんな生活が私にはあっているみたいです。

皆さんも、一人でいる時間を十分に有効利用し、
孤独を満喫してみませんか。


医療の常識は変わる

2018年01月26日06:14

私は、この世の中には
「絶対に正しい」ということもなければ、
「絶対に間違っている」ということもないと
思っています。

西洋医学の治療法や考え方も
私が医者になった頃に比べると
ずいぶんと変わりました。

その最たるものが消毒に対する考え方です。
昔は傷口の消毒やガーゼ交換は
毎日するというのが常識でした。
しかし、今はそれが意味のないどころか
かえって逆効果になるということで
傷口や手術後の傷跡に対する消毒は
しないようになってきています。

また、一般の手術室に入るのも
昔は靴下や履き物は
すべて清潔なものに換えてから
手術室に入っていましたが、
今は外履きのままでOKです
靴を履き替えることの意味が無いことが
わかったからです。

心肺蘇生の現実を見ても
昔と今ではずいぶんと変わりました。
私が医者になった頃は、
心臓が止まりかけたら
必ず心臓マッサージ(ちなみにこれも、
「胸骨圧迫」という名称に変わりました)などの
心肺蘇生をするのが常識でした。

末期がんであろうが、
高齢で衰弱死しそうな患者さんであろうが、
全く意味がないとわかっていながらも
心臓マッサージをするものでした。

昔は、死=敗北でしたし、
一秒でも長く生かすことが
医学の使命だと思われていたので
蘇生の可能性がないとわかっていても、
形式的にでも必ず
心臓マッサージをしていたのです。

それが今では、末期がんの最後のときに
心臓マッサージをすることは
ほとんどなくなりました。
もっとも、事前に本人や家族から
そのようなことはしないという同意を
得るようになったこともありますが、
それ自体が大きな変化と言えます。

このように医療の常識は
どんどん変わっていきます。
常識とは「正しいこと」ではなく、
多くの人が「正しいと思い込んでいること」
であるにすぎません。

もちろんこれは、
医療の世界だけのことではありません。
一般の人たちが信頼している医療ですら、
常識は変わるのですから、
世の中のすべてのことは、
時間の経過や時と場所、文化によって
常識は変わるものだということを、
また常識は非常識に変わるものだということを
私たちはしっかりと
認識しておく必要があると私は思っています。


テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

権威のお話し

2017年10月04日07:14

権威の影響力は絶大です。
うまく使えば、人を惹きつけ、
安心感や喜びを与えることができますが、
悪用すれば、人を陥れ不幸にすることも
容易にできてしまうのが権威です。

先生と呼ばれる立場の人、
特に医者や弁護士、政治家などは
誰もが、その肩書きを知った瞬間、
いきなり態度が変わり、
相手は低姿勢になってしまうという、
まさに権威の象徴的存在です。

私は普段病院で白衣は着ません。
そのため、病室で初めて私と会った
患者さんや家族は決まって、
この人誰だ?というような顔をします。
ときどき親戚のおじさんに間違われたりもします。

でも、医者であることを名乗ると、
いきなり態度が和らぎ、
ペコペコとお辞儀をし始めるのが常です。

以前、こんなこともありました。
入院してきた90歳の患者さんが、
以前から飲んでいる降圧剤を
そのまま飲み続けていました。

ところが、その患者さんは末期がんであり
そう長くはないと思われる状態であり、
なおかつ入院してきたときの血圧が
110/60mmHgしかなかったため、
当然2種類飲んでいた降圧剤は中止しました。

ところが、それに気づいた娘さんが
朝方、どうして降圧剤を切ったんですか!
何の説明も聞いてません!と、えらい剣幕で怒って
詰め所に来たという報告をナースから受けました。

その娘さんは仕事があったため
すぐさま病院を出たのですが、
夕方来るのでそのときに主治医から
説明を受けたいと言っていたと、
ナースから聞きました。

夕方、娘さんが来られたので
私は病室に行きました。
さぞかし怒っているのかと思いきや、
私の顔を見るなり、
「先生が中止するのがいいと
判断されて切ったのでしょうから、
それでよいと思っています」と、
私の思いとは裏腹にとても低姿勢でした。

私は、今の状態で降圧剤を飲むのは
かえって危険であると判断したので
薬は中止したと説明したところ、
娘さんも笑顔で、
「はい、わかりました、
あとはよろしくお願いします」と言って
穏やかな表情で私の話を聞いてくれました。

一般の人は、
医者の言うことは正しいと
思っているところがあります。
同じ説明をナースがしても
本当かなと、半信半疑なのですが、
医者が説明すると納得してしまうのです。
まさにこれが権威の力です。

ましてや本を書いている有名な先生に
診てもらったとなると、
患者さんも期待感に胸を膨らまして来るので、
その段階ですでに
半分はよくなってしまっているようなものです。

権威があることと偉いこと、すばらしいこととは
全く別のことなのですが、
どうも人は権威に弱いようです。

まあ、自分がうれしくなり、
エネルギーをもらえるのであれば
全く問題ありませんが、
権威を悪用して、人を苦しめることで
金儲けをしているような人もいるので
ご用心、ご用心、です。

異なる視点が大発見を生む

2016年05月31日07:23

「リーマン予想~天才たちの150年の闘い」(DVD)を見ました。
あまりのおもしろさに、つい見入ってしまいました。
なぜならば純粋な数学の分野である整数(素数)の研究が、
宇宙や素粒子の背後にある自然法則を解き明かす
カギになるかも知れないと言うのです!

これは例えて言うならば、心と身体は全く別のものと思っていたら、
実は両者はつながっていることがわかった!というような話です。
数学や物理は苦手という人でも楽しめますので、
まあ、少しだけお付きあい下さい、興奮しますよ…かな?

リーマン予想とは天才数学者リーマンがこの世に送り出した超難問であり、
150年もの間、未だ解かれていません。
詳細は私もわからないので、おおざっぱなイメージで説明すると
素数の並び方の背後に隠された意味を解明するといった問題です。
素数とは1と自分自身でしか割ることができない数のことで
2,3,5,7,11,13,17,19,23…と続きます。

この素数は無限にあり、
現在知られている最大の素数は1700万桁以上の数です。
億が9桁ですから、その途方もない大きさがわかると思います。
ところが素数の並び方には全く規則性がなく、気まぐれのようにしか見えません。
239の次の素数は241と2しか離れていないと思えば
72個も素数に出くわさないところもあり、全く規則性が見つけられないのです。

そのため、素数の現れ方には全く規則性などないと思われていました。
ところがオイラーが素数だけを使った風変わりな数式を考え出しました。
素数×素数÷(素数×素数-1)という式です。
素数が2であれば、2×2÷(2×2-1)=4/3となります。
次の素数3は、3×3÷(3×3-1)=9/8
これを素数に関して全て掛け合わせると、
4/3×9/8×25/24×49/48×…となるわけです。

とびとびの値をとる素数だけを使った式に
意味のある答が出てくるとは誰も思っていませんでした。
ところがそうではありませんでした。
なんと、その答えはπ(パイ、円周率)を二乗したものを6で割った値、
つまりπ×π/6と等しくなったのです!

意味のない素数の集まりが、宇宙で究極の美である円を表す定数である
円周率πと関係していたのです!
オイラーは、素数が単なる気まぐれではなく、
宇宙の法則と繋がっている可能性に初めて気づいた数学者だったのです。

オイラーの発見からおよそ100年後の19世紀半ばに、
リーマンは素数に意味があることをもっと数学的に表現したのでした。
それがゼータ関数で、これはオイラーの式ととてもよく似ています。
この関数を立体的なグラフに描き、そのグラフの高さがゼロになる
ゼロ点の位置を調べたのです。

当初の予想では、素数の並びが不規則なのだから、
その不規則な素数によってできたゼータ関数のゼロ点も
バラバラだと思われました。
ところが調べてみると、
ゼロ点が一直線上に並んでいそうだということに気づいたのでした。

そこでリーマンは次のような予想をたてました。
「ゼータ関数の非自明なゼロ点はすべて一直線上にあるはずだ」
これが、有名なリーマン予想です。
これは素数の並びには意味があるのか?という問いを、
全てのゼロ点は一直線上にあるのか?という
数学的な問題に焼き直したものでした。

この数学上の予想が正しいことが証明されると、
素数に理想的で完璧な調和が存在することが証明されることになるのです。

その後、多くの天才数学者がこの問題に取り組みました。
ところが今現在に至るまで、誰一人としてこのリーマン予想を
証明した人はいません。
それどころか、統合失調症を発症したり自殺したりしてしまった
数学者までもが現れました。

コンピューターの原型を作ったと言われるアラン・チューリングも
リーマン予想に取り組んだ一人でした。
もっとも彼の場合は、直線上にはないゼロ点を見つけることで
リーマン予想は間違っていることを示そうと考えていました。
計算機を駆使して1000個以上のゼロ点を調べましたが、
その全てが直線上にあることがわかり、
結局、彼のもくろみは失敗に終わりました。

ところが、1972年にこのリーマン予想に
新たな視点を持ち込む出会いがあったのです。
それが素粒子物理学のフリーマン・ダイソン博士と
数学者のニュー・モンゴメリー博士の出会いでした。

研究所の1階のラウンジでお茶を飲みながら休憩していたダイソン博士に、
たまたま研究所を訪れていたモンゴメリー博士の友人が
彼を紹介したのでした。
一人は素粒子物理学者であり、方や整数論が専門の数学者ですから、
お互いのことには最初から興味がありませんでした。

社交辞令としてダイソン博士が
「どんな研究をしているんですか」と尋ねたところ、
モンゴメリー博士は自分が今行っている研究について話し始めました。
モンゴメリー博士は、ゼロ点の間隔の現れ方に興味を持っており、
それを表す数式を見つけていたのです。
その式を見たダイソン博士は驚きと興奮のあまり、声が出ませんでした。
なんと、その式はダイソン博士が見つけた
原子核のエネルギーの間隔を表す数式とそっくりだったのです!

自然界の構成要素である原子、
その中心にある原子核のエネルギーは一定ではなく、
とびとびの値を取ることが物理学の世界では知られていました。
そのとびとびの値とゼロ点の位置の値の数式がそっくりなのです!
二人の出会いは、素数という数学の世界と素粒子という現実の世界に
関連があることが発見された瞬間だったのです。
このことは、もしもリーマン予想が実証されたならば、
大宇宙や素粒子の背後にある自然法則が明らかになるかもしれない
ということを意味しているのです。
素数は、神が創造した自然界を理解するカギなのです。

ひとつの問題を解く場合、
全く異なる分野の、全く異なる視点が、
解決の糸口になることがよくあります。
同じものを違った視点から見ることによって
今まで見えなかったものが見えてくるのです。

このDVDを見て、私はそのことを再確認させられました。
そして改めて、全ては繋がっているという思いを強くしました。
皆さんはいかがでしょうか?


テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体


プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://kuromarutakaharu.com

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