点滴で栄養が入れられるという誤解

2017年04月21日16:19

医療現場で点滴をするというのはごく一般的なことですが、
なぜ点滴をするのかということになると
あまり理解していない人が多いようです。

よくある誤解は、風邪を引いたりして食事が入らないと、
栄養を補うために点滴をしてもらうというものです。
多分一般の人は、点滴にはそれなりの栄養が
入っているのだと思っているのでしょう。

実際は、点滴は水分の補給が目的であり、
栄養はほとんど入っていません。
例えば一般的に使われているソルデム3A(500ml)という点滴がありますが、
この中に入っている栄養はブドウ糖21.5gだけです。
これは86kcalのエネルギーに相当しますが、
白米のご飯で言うと50g程度であり、
通常のお茶碗1/3膳くらいのものです。

それだって栄養は栄養だと言うのであれば、それは否定しませんが、
入院して1日4本点滴しても344kcalですので、
人が生きていく上で最低限必要な1日のエネルギー量が
1,200~1,500kcalであることを考えると
全くもって足りないと言わざるを得ません。

それならば十分なカロリーが入っている点滴を
してもらったらいいのではと思うのかもしれませんが、
実際にはそれはできません。
なぜならば腕の血管からカロリーの高い点滴をすると
すぐに血管炎を起こして血管がつぶれてしまうため
点滴ができなくなってしまうからです。

1,000kcal以上の本格的な栄養を入れようとするならば、
鎖骨下にある太い血管や頸静脈から点滴をする必要があります。

末期がんの患者さんの場合も同じことが言えます。
食事が食べられなくなると、
本人もそうですが、特に家族が心配し、
全然食べられないので、
点滴をしてもらえませんかと言って来ることがしばしばあります。

末期がんの患者さんの場合は、
むくんでいたり腹水や胸水が溜まっていたりすることがよくあるのですが、
そのようなときに点滴をしてもさらに水が溜まっていくだけで、
意味がないばかりか、かえって患者さんを苦しめることにもなりかねません。

ところがたいていの人は、
食べられないのであれば点滴をして、
栄養を入れてあげれば元気になるのではと思っているので、
点滴をしてほしいと言うのでしょうが、
それは、点滴=栄養という誤解に基づくものなのです。

もっとも、ごく普通の患者さんの場合は、
点滴をしたら実際楽になったという人はたくさんいます。
救急外来に来た脱水の患者さんであれば、
点滴の実際の効果と言えるかもしれませんが、
もしそれが風邪の人だったならば、
楽になったというのはたいていの場合、単なるプラシーボ反応です。
つまり、点滴をしたら楽になるという「思い込み」の力による効果です。

でも、この「思い込み」の力はバカになりません。
これで痛みも取れるし、吐き気も治まるからです。
救急外来をしていると、よく急性胃腸炎の患者さんが来ます。
そのような患者さんは点滴をしてほしいと言うことが多いので、
その希望に応えて点滴をしてあげます。
すると、さっきまで下痢と腹痛、嘔吐で苦しんでいた患者さんが、
点滴をしている間はベッドでゆっくり眠り、
目が覚めた頃には、だいぶ症状が和らいでいるということがよくあります。

点滴には何の薬も入れず、いわゆる「水」だけですが、
これで症状が改善するのです。
これが「思い込み」の力なのです。
私は治療に、しばしばこの力を利用させてもらっています。

点滴に栄養が入っていなくても、
そういう意味では十分に役立つのです。
点滴様様です。


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面白い?患者さん十人十色

2016年05月08日05:42

患者さんと話をしていると、
この患者さんは面白い!と思える人が時々います。

先日、90歳を過ぎた肺がんの患者さんが外来に来ました。
とても陽気で元気そうに見える患者さんでした。
彼の話が面白かったんです。

「私は90歳までたばこを吸っていたんですが、
みんなから言われたもんで、1年間禁煙したんです。
そしたら検診でひっかかり、検査をすると肺がんだと言われました。
禁煙したら肺がんになったので、それだったら吸ってやれと思い、
その日からまたたばこを吸い始めました」

禁煙したら肺がんになったので、また吸い始めたという話を聞いて、
私も思わず笑ってしまいました。
この患者さんは、人間はいつか死ぬんだから、もう治療はせん、
あとは好きなことやって死にますわ、と言いながら、
外来をあとにしました。

また、こんな患者さんもいました。
40代の卵巣がんの女性でしたが、
医者からは手術や抗がん剤を強く勧められましたが、
子供を産みたいという思いを捨てきれず、
ずっと手術や抗がん剤治療を拒んできました。

しかし次第に状況が悪化、がんが全身に広がり、
すでに治療ができるような状態ではなくなってしまいました。
そのため、今後は緩和ケアで診てもらって下さいと言われ、
緩和ケアのある病院をいくつか受診したのですが、
彼女は、まだあきらめたくないという思いを強く持っており、
体力が回復したら、また治療を受けたいと言ったそうです。

そんなことを言ったせいか、
どこの緩和ケア病棟も受け入れてもらえなかったようでした。
一緒に来ていたご主人が、
「本人の気持ちが前向きなので緩和ケア病棟への入院は断れました」
と言っていました。

これも面白い話なのですが、笑うに笑えない話でもありました。
もう死んでもいいですとあきらめている人の入院は受け入れられるのに、
まだ生き続けたいという希望や前向きな気持ちを持っている患者さんは
緩和ケア病棟への入院を断られてしまうというのは、
患者さんの思いを大切にするという緩和ケアの理想とは裏腹に、
結局は緩和ケアも医療者の都合を最優先するものなのだなと、
その時はちょっとがっかりしました。

また、こんな患者さんもいました。
彼は食道がんの末期で、気管と食道にトンネルができてしまい、
食べたものが気管支に流れこんでしまうため、
よく誤嚥性肺炎を起こしていました。

最初は内科で入院していたのですが、
そこでは当然のごとく絶飲食になってしまいます。
本人は食べたがるのですが、また肺炎を起こすと命取りになると言われ
主治医は飲食を許可してくれなかったそうですが、
あまりに食べさせろと言うので、主治医も匙を投げ、
それならば、もう緩和ケア病棟に行って下さいということになり、
うちの緩和ケア病棟に入院することになりました。

こちらに来てからは、本人の思うように飲食をしてもらっていましたが、
すぐさま誤嚥性肺炎を起こすかと思いきや、
特に問題なく過ごせていました。

1ヶ月半が経った頃に突然、食事が喉に詰まるようになったと言い、
以前も同様な症状が出現したときには、
胃カメラを入れて食道を広げてもらったら通るようになったというので、
急きょ内科の先生にお願いしてカメラをしてもらうことにしました。

胃カメラを入れると、食道には食べ物のカスが残っており、
その横には気管に通じるトンネルがはっきりと認められました。
念のため造影剤を入れてレントゲンを撮ってみると、
造影剤が食道から気管に流れ込んでいるのがはっきりと写っていました。
そのため、食道を広げるどころではないと判断した先生は、
何も処置をせずにそのまま胃カメラを終了しました。

結局、食道拡張術ができないまま病室にもどってきたのですが、
その直後から、食事が食べられるようになったと言って、
また以前のようにおいしく食事をし始めるではありませんか。
これにはちょっと驚きました。

食道の詰まりを改善させるような処置は何もせず、
おまけに誤嚥性肺炎を起こすのが当たり前の状況だったのに、
なぜかまた食べられるようになり、
それから1ヶ月もの間、普通に過ごしていました。
最後は知らない間にスーッと亡くなっていました。

色々と面白い患者さんはいますが、
そのような患者さんは皆さん個性的です。
医者の言うことをおとなしく聞く患者さんよりも
自分の主張を曲げないちょっとわがままな患者さんの方が、
もしかしたら幸せなのかも知れませんね。
このような患者さんたちに会う度に、私はそう思います。

きわめて困難なケースへの対処法②

2015年10月30日08:22

(前回に続く)
二例目は肺がん末期の患者さん(母親)の息子さんのケースです。
緩和ケア病棟に転棟してきたこの患者さんに、
自営業をしていた息子さんは常に付き添っていました。

彼は母親への思い入れがとても強く、
ちょっとでも母親の「辛い!」「苦しい!」という言葉を聞くと、
それにすぐさま反応してしまい、
「苦しがっているじゃないか!」と次第に興奮状態となり、
大声を出して怒り出したりするというのが
前の病棟にいたときからのパターンでした。

母親は認知症があり、ちょっとしたことでも
「痛い!」「病院に連れてって」などと言うところがあましたが、
たいていは傍にいてさすってあげたりしていると、また落ち着いてくるため
ナースが対応する場合は、何の問題もありませんでした。

ところが息子さんは、母親の言葉を真に受けて慌ててしまし、
それに反応するかのように母親も大きな声になり、
さらに息子さんも焦り興奮し始めるというパターンに陥るのが常でした。

そうなると何が何だがわからなくなってしまうようで、
病室から救急隊や警察に電話をかけて呼ぶということも何度かありました。
もっとも1~2時間ほどして興奮がおさまると、
「先程はすまんかった」と、謝罪の言葉を口にすることもよくありました。

このような行動を何度も繰り返すこの息子さんを病院も問題視しており、
今度同様のトラブルを起こした場合には病院への出入りを禁止することを
本人に文面で伝えていました。

しかし、私としては出入り禁止にしてしまうことには反対でした。
なぜならば、もしも本当に出入り禁止になってしまったら、
最愛の母親の最後を見取れなくなってしまうため
それこそ、何をしでかすかわからないと思ったからです。
しかし一度出された病院の決定を覆すことはできません。

そこで私は
「出入り禁止になったら母親の最後を看取ることもできなくなってしまうので、
それだけにはさせたくない」と強調、
そうならないためにも対応策を
一緒に考えながらやっていきましょうと約束しました。

そうは言ってもナースにとっては、
息子さんがいつ爆発するかわからないという不安や恐怖があり、
過度の精神的緊張を常に強いられていました。
息子さんも興奮しないようにしなければと頭では理解しているものの、
そのような状況になると、つい我を忘れて興奮してしまうのでした。

また自分としては怒っているつもりはないと言うのですが、
明らかにナースは恐怖心を抱いており、
両者の間に認識の違いがあることもわかりました。
そのためナースも恐怖を感じていることを伝える必要があったのですが、
その状況になると彼の大声と威圧感に圧倒されてしまい、
怖くて言葉がでなくなってしまうのです。

そこで「今、恐怖を感じている」ということを
息子さんに伝えるためにカードを作成し、
その場でこれを見せることで恐怖の思いを伝えようと考えました。

すぐさまハガキ大のカードを用意し、
表にはイエローカードの下地に
「申し訳ございませんが、今、怖いです」と書き、
裏にはレッドカードの下地に
「申し訳ないですが、家族室へ移動願います」と書きました。

息子さんにこれを見せながらカードの趣旨を説明し、
それを使用することを了解してもらいました。
息子さんも私の説明に終始笑顔で応えてくれ、
後日担当ナースには
「わしのためにここまでやってくれてうれしい」と語っていました。

結果的にはこのカードは使われることなく、
最後のときを迎えることができました。
その際もきわめて冷静であり、感謝の気持ちを述べて病院をあとにした。

このケースの場合、
先ずは息子さんの話をよく聴き、
信頼関係を築いていったことは言うまでもありません。
さらに、病院を追い出されないようにできるだけの努力をすることを
意識的に伝えることで「私はあなたの味方」であることを強調しました。

また興奮が興奮を呼ぶという悪循環を
いかに断ち切るかということをあれこれ考え、
その中で考えついたのがこのカードの作成でした。
しかしこのカードは、実際には使われなかったことを考えると、
もしかしたら、私たちの一生懸命な思いが彼に伝わり、
それが興奮の連鎖反応という悪循環を切ってくれたのかもしれません。

私が今回のケースで最も言いたかったことは、
問題の原因に目を向けるのではなく、
悪循環を切るという視点を取り入れると、
問題解決がとてもやりやすくなるということでした。

これはブリーフセラピーの持つ二つの視点のひとつです。
コミュニケーションのセミナーなどでは、
「できていること」に注目しそれを広げるという
良循環の促進を強調していましたが、
実際には、ここで示したような悪循環を切るという視点も
問題を解決するうえにはとても重要なのです。

これからも多くの人にブリーフセラピーの考え方に興味を持ってもらい、
緩和ケアの分野でも様々な問題に対して
より柔軟な視点から対応ができる人が増えてきてくれたら
私にとってはこの上ない喜びです。
これからもがんばります。

きわめて困難なケースへの対処法①

2015年10月16日07:22

去る10月11日~12日に岐阜の長良川国際会議場にて
第39回死の臨床研究会年次大会が開催されました。
私は12日のシンポジウム「心の援助者を目指して
~困難を抱えた患者さん・家族と逃げないで向き合うために」で、
5人の演者の一人として発表させて頂きました。

私はトップバッターでテーマは
「きわめて困難なケースに対する考え方とその対処法」でした。
10分ほどの発表でしたが、学会発表では珍しく
深刻な話をしているにもかかわらず、会場は爆笑の渦に包まれていました。

多分、私が提示したケースがあまりにもすさまじく、
またそれに対する解決法がとても奇抜で意外性に満ちていたことが
爆笑に繋がったのではないかと勝手に理解しています。

ケースを二例発表し、その経過や実際の対応、考察について述べました。
一例目は大腸がんの男性のケースで、この患者さんは
ナースへの暴言や激怒、1時間以上にわたるマッサージの強要、
1日50~100回にわたる頻回のナースコール
という問題行動がありました。
ここでなぜか爆笑です。
桁外れの問題行動に笑うしかなかったんでしょうか。

この患者さんは一般病棟に入院しており、主治医も私ではありませんでした。
ところがそこの病棟のナースがもうこれ以上は無理ということで、
看護科長が病棟ナースを引き連れ院長室に行き、
この患者さんを何とかしてくれと直談判しました。
その際、私は院長から呼ばれ、何とかしてほしいと直々に頼まれたため
受け入れざるをえなかったといういきさつがあります。

頼まれたのが夜の8時でしたので、
当然私は明日朝にでも患者さんと話をしようと思っていたのですが、
ナースの方から「そんな余裕はありません、今すぐに行って下さい」と
言われたため、やむを得ずその後すぐに患者さんのところに行き、
約1時間半ベッドサイドで話をしました。

その際に話をしたのは、
①今病棟は大変な状況になっていることを説明、
②このままだとナースは疲弊し倒れてしまうことが予想され、
そうなればあなたのケアはもうできなくなることを説明、
③そんなことにならないためにも、先ずはナースコールを
1時間に1回以内(1日24回以内)にするというのはどうだろうかと
提案してみました。

この話をした直後から、なぜか一切のナースコールがなくなりました。
ここでも会場から、驚きとも笑いとも取れるどよめきが湧き上がりました。
薬がほしいときなども、ナースコールを押すことなく、
詰め所まで来て薬を希望するようになりました。
ナースはその度に
「1時間に1回程度ならコールを押してもいいんですよ」と言うのですが、
「みんなに迷惑がかかるからナースコールは押してはいけないと
先生に言われた」と言い張り、決してコールを押そうとはしませんでした。

そして、私との話し合いから3日後、
患者さんは自発的に退院していきました。
ひどく困難と思われたケースが、何ともあっさり解決したという
とても興味深い症例でしたが、
当然私としては、それなりのことを考えながら
彼との話し合いに臨みました。

この患者さんはとても寂しがりやで、
いつもナースに傍にいてもらいたいという思いが強くありました。
一方ナースは、恐怖心のため彼の要求に従っていましたが、
それが逆に彼の行動をエスカレートさせるという
悪循環に形成していったのではないかと考えました。
そこで、この悪循環を切るために、
彼の思い込みを書き換えるという介入を試みました。

つまり、彼の心の中には
「ナースコールを押す=みんなが傍に来てくれる」
という思いが形成されていましたが、それを
「ナースコールを押す=みんなから見放される」
という思いに変わるような介入を行ったわけです。

私としては、コールの回数が減るだけでも、
ナースの負担がかなり軽減されるため、
それだけでも先ずは十分だと思って
思い込みを変えることを意図した説明や提案をしたのですが、
結果は、いきなりナースコールがなくなってしまったので、
正直、私自身も驚きました。

彼の中には、みんなから見放されたくないという思いがことのほか強く、
また、今度ナースコールを押したら、
みんなから見放されるに違いないという強い思い込みが
うまくできたのではないでしょうか。
だからこそ、決してナースコールは押さず、
あくまでも自分で詰め所に出向くということを
やり続けたのではないかと思いました。
(つづく)

家族への「説明」を巡る問題

2012年09月29日11:34

主治医から「もう治療法はありません、あとはホスピスに行って下さい」
と、言われた末期がんの患者さんであったとしても
まだあきらめたくないという思いを持っている人は少なくない。
それは患者本人だけではなく、家族とて同じことだ。
ましてや患者が20代の一人娘だったりすれば、なおさらのことだろう。

そのような場合、当然のことながら家族も何とか治してあげたいと願い
お金に糸目は付けず、高額な代替療法に希望を託す場合も多い。
傍から見たらお金の無駄遣いだと思うかもしれないが、
家族からすれば、かわいい娘が少しでもよくなる可能性があるのであれば、
どんなことでもするという決意の証なのかもしれない。

主治医から何度も説明を受けているのであるから、
家族も現実が厳しいことはもちろんわかっている。
それでも、奇跡が起きることを信じたいのだ。
その思いが強くなればなるほど、
悪くなっている現実は受け入れ難くなってくる。
そうすると、少しでも状態が落ち着いている瞬間があっただけで、
「昨日よりずいぶんと良くなった」と見えてしまうのだ。
家族からすれば、少しでも良さそうに思える部分はよく見えるが、
他のほとんどを占めるよくない状態は無意識にスルーされてしまうのだ。

そんな家族の思いは、ときに医療スタッフを不安にさせることがある。
「この子が元気になったら、また一緒に旅行に行きたいんです」
そんな言葉を耳にすると、
「この両親は、娘さんの病状がかなり悪いということを
本当にわかっているのだろうか」という思いに駆られるのも
ある意味、自然なことかもしれない。

一方、そんな言葉を口にする両親の思いも十分に理解できる。
現実が厳しいことは潜在的にはわかっているが、
しかし娘が近い将来、この世からいなくなるなんて考えたくもないのだ。
だからこそ、その思いを振り払うべく
その正反対の元気になった状態に思いを馳せることで
今の受け入れがたい現実に何とか対処しているのだ。
それが非現実的な言葉として現れているだけであり、
両親が現実を理解していないわけでは決してない。

逆に、現実がわかっているからこそ、
その反動で「旅行に行きたい」などという非現実的な言葉が出てくるのだ。
もし近い将来亡くなるという現実を全く知らなかったならば、
慌てる必要もないし、焦る必要もない。
ましてや、非現実的な思いの中に逃避する必要など全くないはずだ。

ところが、表に現れた言葉を文字通りに受け取り、
「この両親は現実を理解していないようだから、しっかり理解できるように
ちゃんと説明をしてあげなくては」などと考える医者がいたならば、
これは、両親の思いを全く理解できていない医者だと言わざるを得ない。

いや、もしかしたら両親の思いを理解はしているのものの、
まもなく訪れるであろう死の現実に両親が直面した際、
当然のごとく、その現実を受け入れられない両親が、
「こんなことになるなんて聞いていません!何とかして下さい!!」と
泣き叫びながら必死に懇願してきたときに、
どう対応してよいかわからず右往左往している自分を想像してしまい、
それによりかきたてた不安感が
「ちゃんと説明をしなくては」という思いをわき上がらせているのかもしれない。
それが「もし訴えてやると言われたらどうしよう」などという妄想にまで膨らめば、
その不安感はより一層募ってくるだろうことは十分に予想できる。

こんな事態にならないためにも、
家族にはちゃんと現実を理解しておいてもらい、
死ぬ間際になって無理難題を
吹っかけられないようにしておかなくてはという思いから、
家族がちゃんと理解できるように説明をすべきだと考えるのであれば、
これは本末転倒というものだ。

現実を直視することを避けることで、
如何ともし難い不安感に対処している両親をよそに、
両親が現実に直面した時に、
もしかしたら自分に火の粉が
降りかかってくるかもしれないという不安感を和らげることを優先し、
これ以上直視したくない現実の話しを、
理解していないように見えるという理由で、繰り返し説明するという行動は、
どう見ても家族のためというよりも、自分のためにしているようにしか思えない。

インフォームド・コンセントの問題もこれと似ているところがある。
説明の重要さは十分にわかっているが、結局誰のための説明かということだ。
患者さんにとって必要な説明をするのは当然だが、
患者さんがあまり知りたくないことをどこまで言う必要があるかとなると
これはなかなか難しい問題になる。
悪い情報は誰でもあまり聞きたくはないが、しかし大切なことであれば、
これもしっかりと説明しなければならないのは当然のことである。

しかし、もしも何かトラブルが起こったときに
医者が訴えられないように説明をしておこうという思いで説明をするのであれば、
これは本末転倒ではないかと思ってしまうのだ。
この問題については、これ以上深入りするのはやめておく。

医療の世界において、ごく普通に行われている「説明」という行為は、
とても単純な作業のように思われがちだが、
患者や家族の思いを大切にするという視点に立って「説明」を考えると、
事はそう簡単なものではないのである。

テーマ : つぶやき
ジャンル : ブログ


プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://holicommu.web.fc2.com

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