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やる気が先か、行動が先か

2019年12月23日06:47

人はやる気があるから行動に移せると
思っている人が多いようですが、
実際にはその逆で、
行動するからやる気が出てくるのです。

もちろん、やる気や意欲があれば、
当然、勉強でも仕事でも行動に移せます。

だからこそ、やる気が先で
それに行動が伴うと思いがちですが、
しかし、ほとんどの場合、そうではないことは、
われわれが日常生活の中で
よく経験するところです。

例えば、掃除や片付けなど、
気が乗らないことは、
なかなかやる気が起こりません。

たいていの場合、
嫌々ながらも仕方ないからやるというのが
実際のところだと思います。

ところがいざやり始めてしまうと、
何か知らないけどペースに乗って、
いつの間にかやり遂げてしまうといった経験は
誰でもあると思います。

つまり、行動を起こせば、
あとからやる気がついてくるということです。
これは、コペルニクス的転回です。

よく、「楽しいから笑うのではなく、
笑うから楽しいのだ」と言われますが、
これも同じことです。

笑うという「行動」をとることで、
自ずと楽しいという「心」が
ついて来るようになるという意味です。

このように、行動には、
人の心に変化をもたらし、
意欲や楽しさというポジティブな心の状態を
引きだす力があるのです。

では、どうしたらやる気よりも先に
行動を起こすことができるのでしょうか。
これにはコツがあります。

それは、
それくらいならできるかもしれないと思える程の
「ほんの小さな行動」から始めればよいのです。

例えば、夕食後の食器洗いなども、
なかなかやる気にならないことの
代表選手だと思いますが、
最初から全部やろうと思うと、
うんざりしてしまい、
なかなかやる気が起こらず、
ついつい先延ばししてしまいがちです。

ところが、
「お皿を一枚だけ洗う」というのであれば、
それくらいならやってもいいかなと
思えるのではないでしょうか。

そう思えたのであれば、
お皿を一枚洗うという「行動」は
取ることができます。

一枚洗ったら、
もう一枚くらい洗ってもいいかと思い、
二枚目を洗えるかもしれません。

二枚目も洗ってしまったら、
ついでにもう少し洗ってしまおうと思い、
気がついたら全部洗い終わっていたということは
十分にあり得ることです。

このように最初の一歩をできるだけ小さくし、
それくらいならできるという気になる「行動」を
設定するのがポイントです。

しかし、そうは言われても、
人はつい欲張ってしまい、
「これくらいできたらいいなあ」という、
ちょっと背伸びをした「行動」を
設定しがちなのです。

例えば、資格試験の勉強を
しなくてはいけないと思いながらも、
なかなか手がつけられないというのも
しばしばある状況です。

これなども、
毎日30分勉強するなどと決めても、
なかなか手がつけられず、
ついつい先送りしてしまい、
今日はやめて明日にしよう、
ということになりがちです。

とにかく、
「それならできる」と思えることでない限り、
行動には移せないのです。

例えば、「机を前にして座る」とか、
「テキストを開く」とか、
その程度からで十分です。

それができて初めて、
勉強がスタートできるのですから、
先ずその準備をすることが、
「行動」の第一歩です。

椅子に座ってテキストを開くことまでできれば、
次の段階で初めて、
「先ずは1分だけテキストを読む」
という「行動」を設定すればよいのです。

とにかく人は、
第一歩を踏み出すまでが一番大変なのです。
最初の一歩さえ踏み出してしまえば、
あとは勝手に行動はついてきます。

だからこそ、
いかに第一歩を踏み出せるか、
そのための工夫が最も大切なのです。

私もこの方法を利用することで、
ブログを週二回(このブログです)、
書くことができるようになりましたし、
机や部屋の片付けも
毎日できるようになりました。

何を「ほんの小ささ行動」に
設定したかというと、
ブログは「毎日50文字は書く」、
片付けは「毎日何か1つだけ片付ける」、
たったこれだけです。
でも、その威力はすごいものがありました。

まずは、やる気よりも行動です。
そのためには、ほんの小さな第一歩を
上手に設定することです。

皆さんも是非やってみて下さい。


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患者さんはウソを言う!?

2018年08月03日07:43

どこでもそうだと思いますが、
私のいる緩和ケア病棟でも、
患者さんの訴えを十分に理解できないことが時々あります。

先日ある患者さんが、
「えらくて仕方がない、何とかして欲しい」と
ナースが訪室したときに訴えてきたと、
ナースから私に報告がきました。

末期がんの患者さんに対しては
全身倦怠感を取るためにステロイドをよく使用するのですが、
この患者さんは、すでに十分量のステロイドを使用していました。

一方で、この患者さんは、毎日食事を全量摂取しており、
普段は肘枕の姿勢で横になっています。
そのような状況を見る限り、
いわゆるがん末期に訪れる「身の置き所のないえらさ」とは
どうも違うような気がしました。

そこで、「どこがえらいの?」とたずねると、
胸のあたりをさすって「ここがえら」と言うのです。
つまり息苦しさがあるため「えらい」と言っていたわけです。

もともと酸素はしており、酸素濃度もさほど低くはないのですが、
本人からすると、「えらい」と感じるようでした。
そのため、呼吸困難感を取るために
モルヒネの持続皮下注をしたところ、
楽になったと言って喜んでいました。

このように患者さんが「えらい」と言った場合、
身体がだるくてえらいのか、痛くてえらいのか、
息苦しくてえらいのか、はっきりわからないことがしばしばです。

だからこそ、「えらさ」の意味するところを患者さんに
しっかりと確認する必要があり、
そうしないと適切な対処ができないのです。

また、こんな患者さんもいました。
神経にピリッとくるような発作的な「激痛」が
喉から頭にかけて走るというので、
前の病棟ではロキソニンという鎮痛剤が処方されていました。

一般に、患者さんが痛みを訴えたときのために、
通常は、主治医が事前に指示を書いておきます。
そのため私も、「疼痛時にはロキソニン」と指示を書いておきました。

ナースのカルテ記録を見ると、
一日に数回、ロキソニンを飲んでもらっている記録がありました。
そこで患者さんに、その痛みはどれくらい続くのかとたずねると、
数秒程度だというのです。

つまり、発作的に一瞬痛みが走り、
あとはすぐに治まるというのです。
では、何でロキソニンを飲むのかとたずねると、
ナースに痛みはないかとたずねられたので、
「痛い」と伝えると、ロキソニンを持ってきてくれたので、
それを飲んだというのです。

そのときには痛かったのかと確認すると、
痛みはすでにないとのことでした。

要するに患者さんは、
発作的な激痛があったという話をしたのですが、
それをナースは、今も痛みがあると解釈したようでした。

しかし、痛みが治まったあとに痛み止めを飲んでも意味はなく、
たとえ発作の真っ最中にナースがいたとしても、
薬を持ってくる頃には発作は治まっていますし、
かりに薬を飲んだとしても
薬が効いてくるまである程度時間がかかってしまいます。

つまり、このような数秒で治まる発作的な痛みに対して
鎮痛剤を処方するというのは全く意味のないことなのです。
もしも薬を使うのであれば、
そのような発作が起こらないようにする
薬を使用するべきなのです。

このように、患者さんの言葉を
文字通りに受けとめてしまうと、
本当に必要な対応ができなくなってしまう場合がしばしばあります。

患者さんの訴えを聞く場合には、
何のことを言っているのか、確認しながら聞くことが大切です。
表向きの言葉を、何も考えずに受け入れてしまうと、
思わぬ失敗をすることになるので注意が必要です。


テーマ : 思うこと
ジャンル : その他

点滴で栄養が入れられるという誤解

2017年04月21日16:19

医療現場で点滴をするというのはごく一般的なことですが、
なぜ点滴をするのかということになると
あまり理解していない人が多いようです。

よくある誤解は、風邪を引いたりして食事が入らないと、
栄養を補うために点滴をしてもらうというものです。
多分一般の人は、点滴にはそれなりの栄養が
入っているのだと思っているのでしょう。

実際は、点滴は水分の補給が目的であり、
栄養はほとんど入っていません。
例えば一般的に使われているソルデム3A(500ml)という点滴がありますが、
この中に入っている栄養はブドウ糖21.5gだけです。
これは86kcalのエネルギーに相当しますが、
白米のご飯で言うと50g程度であり、
通常のお茶碗1/3膳くらいのものです。

それだって栄養は栄養だと言うのであれば、それは否定しませんが、
入院して1日4本点滴しても344kcalですので、
人が生きていく上で最低限必要な1日のエネルギー量が
1,200~1,500kcalであることを考えると
全くもって足りないと言わざるを得ません。

それならば十分なカロリーが入っている点滴を
してもらったらいいのではと思うのかもしれませんが、
実際にはそれはできません。
なぜならば腕の血管からカロリーの高い点滴をすると
すぐに血管炎を起こして血管がつぶれてしまうため
点滴ができなくなってしまうからです。

1,000kcal以上の本格的な栄養を入れようとするならば、
鎖骨下にある太い血管や頸静脈から点滴をする必要があります。

末期がんの患者さんの場合も同じことが言えます。
食事が食べられなくなると、
本人もそうですが、特に家族が心配し、
全然食べられないので、
点滴をしてもらえませんかと言って来ることがしばしばあります。

末期がんの患者さんの場合は、
むくんでいたり腹水や胸水が溜まっていたりすることがよくあるのですが、
そのようなときに点滴をしてもさらに水が溜まっていくだけで、
意味がないばかりか、かえって患者さんを苦しめることにもなりかねません。

ところがたいていの人は、
食べられないのであれば点滴をして、
栄養を入れてあげれば元気になるのではと思っているので、
点滴をしてほしいと言うのでしょうが、
それは、点滴=栄養という誤解に基づくものなのです。

もっとも、ごく普通の患者さんの場合は、
点滴をしたら実際楽になったという人はたくさんいます。
救急外来に来た脱水の患者さんであれば、
点滴の実際の効果と言えるかもしれませんが、
もしそれが風邪の人だったならば、
楽になったというのはたいていの場合、単なるプラシーボ反応です。
つまり、点滴をしたら楽になるという「思い込み」の力による効果です。

でも、この「思い込み」の力はバカになりません。
これで痛みも取れるし、吐き気も治まるからです。
救急外来をしていると、よく急性胃腸炎の患者さんが来ます。
そのような患者さんは点滴をしてほしいと言うことが多いので、
その希望に応えて点滴をしてあげます。
すると、さっきまで下痢と腹痛、嘔吐で苦しんでいた患者さんが、
点滴をしている間はベッドでゆっくり眠り、
目が覚めた頃には、だいぶ症状が和らいでいるということがよくあります。

点滴には何の薬も入れず、いわゆる「水」だけですが、
これで症状が改善するのです。
これが「思い込み」の力なのです。
私は治療に、しばしばこの力を利用させてもらっています。

点滴に栄養が入っていなくても、
そういう意味では十分に役立つのです。
点滴様様です。


面白い?患者さん十人十色

2016年05月08日05:42

患者さんと話をしていると、
この患者さんは面白い!と思える人が時々います。

先日、90歳を過ぎた肺がんの患者さんが外来に来ました。
とても陽気で元気そうに見える患者さんでした。
彼の話が面白かったんです。

「私は90歳までたばこを吸っていたんですが、
みんなから言われたもんで、1年間禁煙したんです。
そしたら検診でひっかかり、検査をすると肺がんだと言われました。
禁煙したら肺がんになったので、それだったら吸ってやれと思い、
その日からまたたばこを吸い始めました」

禁煙したら肺がんになったので、また吸い始めたという話を聞いて、
私も思わず笑ってしまいました。
この患者さんは、人間はいつか死ぬんだから、もう治療はせん、
あとは好きなことやって死にますわ、と言いながら、
外来をあとにしました。

また、こんな患者さんもいました。
40代の卵巣がんの女性でしたが、
医者からは手術や抗がん剤を強く勧められましたが、
子供を産みたいという思いを捨てきれず、
ずっと手術や抗がん剤治療を拒んできました。

しかし次第に状況が悪化、がんが全身に広がり、
すでに治療ができるような状態ではなくなってしまいました。
そのため、今後は緩和ケアで診てもらって下さいと言われ、
緩和ケアのある病院をいくつか受診したのですが、
彼女は、まだあきらめたくないという思いを強く持っており、
体力が回復したら、また治療を受けたいと言ったそうです。

そんなことを言ったせいか、
どこの緩和ケア病棟も受け入れてもらえなかったようでした。
一緒に来ていたご主人が、
「本人の気持ちが前向きなので緩和ケア病棟への入院は断れました」
と言っていました。

これも面白い話なのですが、笑うに笑えない話でもありました。
もう死んでもいいですとあきらめている人の入院は受け入れられるのに、
まだ生き続けたいという希望や前向きな気持ちを持っている患者さんは
緩和ケア病棟への入院を断られてしまうというのは、
患者さんの思いを大切にするという緩和ケアの理想とは裏腹に、
結局は緩和ケアも医療者の都合を最優先するものなのだなと、
その時はちょっとがっかりしました。

また、こんな患者さんもいました。
彼は食道がんの末期で、気管と食道にトンネルができてしまい、
食べたものが気管支に流れこんでしまうため、
よく誤嚥性肺炎を起こしていました。

最初は内科で入院していたのですが、
そこでは当然のごとく絶飲食になってしまいます。
本人は食べたがるのですが、また肺炎を起こすと命取りになると言われ
主治医は飲食を許可してくれなかったそうですが、
あまりに食べさせろと言うので、主治医も匙を投げ、
それならば、もう緩和ケア病棟に行って下さいということになり、
うちの緩和ケア病棟に入院することになりました。

こちらに来てからは、本人の思うように飲食をしてもらっていましたが、
すぐさま誤嚥性肺炎を起こすかと思いきや、
特に問題なく過ごせていました。

1ヶ月半が経った頃に突然、食事が喉に詰まるようになったと言い、
以前も同様な症状が出現したときには、
胃カメラを入れて食道を広げてもらったら通るようになったというので、
急きょ内科の先生にお願いしてカメラをしてもらうことにしました。

胃カメラを入れると、食道には食べ物のカスが残っており、
その横には気管に通じるトンネルがはっきりと認められました。
念のため造影剤を入れてレントゲンを撮ってみると、
造影剤が食道から気管に流れ込んでいるのがはっきりと写っていました。
そのため、食道を広げるどころではないと判断した先生は、
何も処置をせずにそのまま胃カメラを終了しました。

結局、食道拡張術ができないまま病室にもどってきたのですが、
その直後から、食事が食べられるようになったと言って、
また以前のようにおいしく食事をし始めるではありませんか。
これにはちょっと驚きました。

食道の詰まりを改善させるような処置は何もせず、
おまけに誤嚥性肺炎を起こすのが当たり前の状況だったのに、
なぜかまた食べられるようになり、
それから1ヶ月もの間、普通に過ごしていました。
最後は知らない間にスーッと亡くなっていました。

色々と面白い患者さんはいますが、
そのような患者さんは皆さん個性的です。
医者の言うことをおとなしく聞く患者さんよりも
自分の主張を曲げないちょっとわがままな患者さんの方が、
もしかしたら幸せなのかも知れませんね。
このような患者さんたちに会う度に、私はそう思います。

きわめて困難なケースへの対処法②

2015年10月30日08:22

(前回に続く)
二例目は肺がん末期の患者さん(母親)の息子さんのケースです。
緩和ケア病棟に転棟してきたこの患者さんに、
自営業をしていた息子さんは常に付き添っていました。

彼は母親への思い入れがとても強く、
ちょっとでも母親の「辛い!」「苦しい!」という言葉を聞くと、
それにすぐさま反応してしまい、
「苦しがっているじゃないか!」と次第に興奮状態となり、
大声を出して怒り出したりするというのが
前の病棟にいたときからのパターンでした。

母親は認知症があり、ちょっとしたことでも
「痛い!」「病院に連れてって」などと言うところがあましたが、
たいていは傍にいてさすってあげたりしていると、また落ち着いてくるため
ナースが対応する場合は、何の問題もありませんでした。

ところが息子さんは、母親の言葉を真に受けて慌ててしまし、
それに反応するかのように母親も大きな声になり、
さらに息子さんも焦り興奮し始めるというパターンに陥るのが常でした。

そうなると何が何だがわからなくなってしまうようで、
病室から救急隊や警察に電話をかけて呼ぶということも何度かありました。
もっとも1~2時間ほどして興奮がおさまると、
「先程はすまんかった」と、謝罪の言葉を口にすることもよくありました。

このような行動を何度も繰り返すこの息子さんを病院も問題視しており、
今度同様のトラブルを起こした場合には病院への出入りを禁止することを
本人に文面で伝えていました。

しかし、私としては出入り禁止にしてしまうことには反対でした。
なぜならば、もしも本当に出入り禁止になってしまったら、
最愛の母親の最後を見取れなくなってしまうため
それこそ、何をしでかすかわからないと思ったからです。
しかし一度出された病院の決定を覆すことはできません。

そこで私は
「出入り禁止になったら母親の最後を看取ることもできなくなってしまうので、
それだけにはさせたくない」と強調、
そうならないためにも対応策を
一緒に考えながらやっていきましょうと約束しました。

そうは言ってもナースにとっては、
息子さんがいつ爆発するかわからないという不安や恐怖があり、
過度の精神的緊張を常に強いられていました。
息子さんも興奮しないようにしなければと頭では理解しているものの、
そのような状況になると、つい我を忘れて興奮してしまうのでした。

また自分としては怒っているつもりはないと言うのですが、
明らかにナースは恐怖心を抱いており、
両者の間に認識の違いがあることもわかりました。
そのためナースも恐怖を感じていることを伝える必要があったのですが、
その状況になると彼の大声と威圧感に圧倒されてしまい、
怖くて言葉がでなくなってしまうのです。

そこで「今、恐怖を感じている」ということを
息子さんに伝えるためにカードを作成し、
その場でこれを見せることで恐怖の思いを伝えようと考えました。

すぐさまハガキ大のカードを用意し、
表にはイエローカードの下地に
「申し訳ございませんが、今、怖いです」と書き、
裏にはレッドカードの下地に
「申し訳ないですが、家族室へ移動願います」と書きました。

息子さんにこれを見せながらカードの趣旨を説明し、
それを使用することを了解してもらいました。
息子さんも私の説明に終始笑顔で応えてくれ、
後日担当ナースには
「わしのためにここまでやってくれてうれしい」と語っていました。

結果的にはこのカードは使われることなく、
最後のときを迎えることができました。
その際もきわめて冷静であり、感謝の気持ちを述べて病院をあとにした。

このケースの場合、
先ずは息子さんの話をよく聴き、
信頼関係を築いていったことは言うまでもありません。
さらに、病院を追い出されないようにできるだけの努力をすることを
意識的に伝えることで「私はあなたの味方」であることを強調しました。

また興奮が興奮を呼ぶという悪循環を
いかに断ち切るかということをあれこれ考え、
その中で考えついたのがこのカードの作成でした。
しかしこのカードは、実際には使われなかったことを考えると、
もしかしたら、私たちの一生懸命な思いが彼に伝わり、
それが興奮の連鎖反応という悪循環を切ってくれたのかもしれません。

私が今回のケースで最も言いたかったことは、
問題の原因に目を向けるのではなく、
悪循環を切るという視点を取り入れると、
問題解決がとてもやりやすくなるということでした。

これはブリーフセラピーの持つ二つの視点のひとつです。
コミュニケーションのセミナーなどでは、
「できていること」に注目しそれを広げるという
良循環の促進を強調していましたが、
実際には、ここで示したような悪循環を切るという視点も
問題を解決するうえにはとても重要なのです。

これからも多くの人にブリーフセラピーの考え方に興味を持ってもらい、
緩和ケアの分野でも様々な問題に対して
より柔軟な視点から対応ができる人が増えてきてくれたら
私にとってはこの上ない喜びです。
これからもがんばります。


プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://kuromarutakaharu.com

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