傾聴の功罪

2017年06月22日18:22

以前、緩和ケア病棟で傾聴ボランティアをしたいと、
心理学部を卒業した心理士の方が訪ねて来たことがありました。

そう言われても、その方が
どのような実力を持っているのか全くの未知数だったので、
まずは一度、実際の患者さんとかかわってもらい、
それを見てボランティアとして採用するか否かが決めようと思い、
患者さんの許可をもらい、
二人の方の話しを聴いてもらうことにしました。

一人目は、患者さん自身ではなく
毎日付きそいをしている妻でした。
私は実際の場面には入らず、あとから話しを聞いたのですが、
その方はとてもよかったとすごく喜んでいました。

この方の場合、夫の強い希望もあり、夫が末期がんになっていることを
兄弟や子供たちにははっきりと伝えていなかったのですが、
妻からすると、そのことが気がかりで仕方なかったというのです。

でも状態がかなり悪くなってきていたので、
もう伝えなくてはと思い、数日前に兄弟や子供に話しをしたそうですが、
そのときの、言うに言えない辛さや、
言って本当によかったのだろうかという思いなど、
すべてを洗いざらいしゃべったというのです。
彼女はなんら自分の意見をはさむことなく
最後までただひたすら聴き続けてくれたようで、
それでホッとして、ようやく肩の荷が下りたとのことでした。

この心理士の方が徹底して傾聴してくれたお陰で
妻はすごく楽になったようでした。

次にもう一人の患者さんのところにも行ってもらいました。
その患者さんは、歩行器を使えば自分で歩けるくらいの
まだ元気で、明るくおしゃべり好きな人でした。

この患者さんにも終了後に感想を聞かせてもらったのですが、
心理士の方が何もしゃべってくれなかったので
本当に困ったと言っており、こちらはかなりの不評でした。

この患者さんが言うには、部屋に来て簡単な自己紹介をしたあと
しばらくずっと沈黙が続き、気まずくなってきたので、
患者さんの方から心理士の方にいろいろなことをたずねたというのです。
結局、自分のことはほとんど語らず、
気まずい時間の中で、ひたすら彼女に質問をすることで
時間を稼いでいたというのです。

この患者さんからすると、
もっと自由にいろいろとおしゃべりがしたかったのに、
彼女は何もしゃべってくれず、ただひたすら黙っているだけだったので、
とてもやりにくく、あまりいい時間ではなかったようでした。

この心理士の場合、二人の感想が両極端だったのでとても印象に残りました。
彼女は、話しを聴いてほしいと思っている人にとっては、
まさにうってつけの存在となりうるのですが、
取り立てて問題や話題のない人にとっては、
積極的に質問をして患者さんから話しを引きだしてくれない限り、
単なる苦痛な存在にしかならないのです。

傾聴と言うと、よく話しを聴き受容し共感することが大切だと言われますが、
今回のエピソードを通して、傾聴にも質問力が大切だと思いました。

もちろん、患者さんが自発的にどんどん話しをしてくれる場合はいいのですが、
無口な患者さんや特に話しがないような場合には、
こちらから質問を投げかけ、本人がしゃべりたいと思うことを
うまく引きだす必要があるのです。

患者さんが話しをし始めて初めて傾聴が成り立つわけであり、
いきなり傾聴から入ってしまうと、相手に対して
このような不快な思いをさせてしまうことにもなりかねません。

傾聴の大切さは今さら言うまでもありませんが、
相手によっては、うまく話しを引きだす質問力がないと
せっかくの傾聴もかえってあだとなることを
この心理士の関わりを通してあらためて思い知らされた気がしました。


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薬なしで血圧を下げる方法

2017年05月22日19:20

この3年間、検診で血圧が150mmHgを越えており、
いつも要再検の通知をもらっていましたが、
薬物療法よりも先ずは運動療法や食事療法をすると言って、
降圧剤は飲みませんでした。

しかし実際には運動をするわけでもなく、
食事を変えるわけでもなく
今までと同じように過ごしていました。

ところが最近、新たに高尿酸血症も見つかってしまったこともあり、
さすがにこのままではまずいと思うようになりました。
そこで、いろいろネットで調べたり本を読んだりして、
どうしたら血圧を下げられるかを研究しました。

それらを総合的に検討した結果、
やはり運動しかないという結論に達しました。
しかしそうは言っても、運動習慣のない私が
いきなりランニングなどをしてもすぐに挫折するのは
火を見るよりも明らかなことだったので、
どうしたら継続的に運動ができるかを
これまたいろいろと調べ検討しました。

その結果、辿り着いた結論は
①これならできそうだと思える運動から始めること
②すでに毎日している習慣とセットにして実行すること
の二つでした。
具体的には毎日スクワット30回、
早足のウォーキング15分というメニューです。

特に時間のかかるウォーキングは
頭ではよいとわかっていても、どうしてもやる気が起こらず、
今日に至っていました。

ところが今回思いついたウォーキングのやり方はグッドでした!
私は朝起きるのは早く、毎日5時には職場に行きます。
車で5分の距離なのですが、どうしても車を使ってしまいます。
以前、歩いて職場に行くようにしたこともありましたが、
面倒くさくなり、結局車通勤に戻ってしまったという過去があります。

今回はそのような、「できそうもないこと」はせず、
これならできるかもしれないという方法を考えました。
幸か不幸か駐車場は職場から結構離れており、
歩いて4分程度かかる距離にあります。
当然、この間は歩くわけですが、
その間を早歩きで歩くことにしたのです。
さらに、駐車場から直接職場に行くのではなく
ちょっと遠回りして職場に行くことにしました。

車を置いてすぐさま早歩きで歩き始めるのですが、
一度歩き始めると、もう少し歩いてもいいかという気になるのです。
すると15分程度の早歩きは全く苦にならずにできるようになりました。
仕事の帰りは普通に駐車場まで歩き、そのまま車ですぐに家まで帰れるので、
帰りもまた歩かなくてはいけないんだといった
嫌だなあという思いを持たないですむのも気に入っています。

最近は遠回りするルートを変えて変化をつけることで、
朝のウォーキングが楽しくさえ感じられるようになりましたし、
時間も20分に伸びました。

そして職場に着くと、自分のデスクのところで
すぐさまスクワットを30回します。
これは1分程度で済み、さほど苦もなくできるため
これも継続できています。
回数も少しずつ増やし、今では40回になっています。

そんな生活を3週間続けているのですが、
先日、久しぶりにこわごわと血圧を測ってみたところ
何と血圧が126/99になっているではないですか!
下はまだ高いものの、上がこれだけ下がれば十分です!

その後何度は測っていますが、その度に高く出たり低く出たりで
まだ安定はしていないのですが、
それでもこの3年間で血圧が140mmHgを下回ることなどなかったので、
私からすれば天にも昇るような思いでした。

これで運動をさらに続けていこうという思いは強くなりましたし、
今後はさらに時間や回数を増やしていこうと思っています。
今年の検診は楽しみです!


点滴で栄養が入れられるという誤解

2017年04月21日16:19

医療現場で点滴をするというのはごく一般的なことですが、
なぜ点滴をするのかということになると
あまり理解していない人が多いようです。

よくある誤解は、風邪を引いたりして食事が入らないと、
栄養を補うために点滴をしてもらうというものです。
多分一般の人は、点滴にはそれなりの栄養が
入っているのだと思っているのでしょう。

実際は、点滴は水分の補給が目的であり、
栄養はほとんど入っていません。
例えば一般的に使われているソルデム3A(500ml)という点滴がありますが、
この中に入っている栄養はブドウ糖21.5gだけです。
これは86kcalのエネルギーに相当しますが、
白米のご飯で言うと50g程度であり、
通常のお茶碗1/3膳くらいのものです。

それだって栄養は栄養だと言うのであれば、それは否定しませんが、
入院して1日4本点滴しても344kcalですので、
人が生きていく上で最低限必要な1日のエネルギー量が
1,200~1,500kcalであることを考えると
全くもって足りないと言わざるを得ません。

それならば十分なカロリーが入っている点滴を
してもらったらいいのではと思うのかもしれませんが、
実際にはそれはできません。
なぜならば腕の血管からカロリーの高い点滴をすると
すぐに血管炎を起こして血管がつぶれてしまうため
点滴ができなくなってしまうからです。

1,000kcal以上の本格的な栄養を入れようとするならば、
鎖骨下にある太い血管や頸静脈から点滴をする必要があります。

末期がんの患者さんの場合も同じことが言えます。
食事が食べられなくなると、
本人もそうですが、特に家族が心配し、
全然食べられないので、
点滴をしてもらえませんかと言って来ることがしばしばあります。

末期がんの患者さんの場合は、
むくんでいたり腹水や胸水が溜まっていたりすることがよくあるのですが、
そのようなときに点滴をしてもさらに水が溜まっていくだけで、
意味がないばかりか、かえって患者さんを苦しめることにもなりかねません。

ところがたいていの人は、
食べられないのであれば点滴をして、
栄養を入れてあげれば元気になるのではと思っているので、
点滴をしてほしいと言うのでしょうが、
それは、点滴=栄養という誤解に基づくものなのです。

もっとも、ごく普通の患者さんの場合は、
点滴をしたら実際楽になったという人はたくさんいます。
救急外来に来た脱水の患者さんであれば、
点滴の実際の効果と言えるかもしれませんが、
もしそれが風邪の人だったならば、
楽になったというのはたいていの場合、単なるプラシーボ反応です。
つまり、点滴をしたら楽になるという「思い込み」の力による効果です。

でも、この「思い込み」の力はバカになりません。
これで痛みも取れるし、吐き気も治まるからです。
救急外来をしていると、よく急性胃腸炎の患者さんが来ます。
そのような患者さんは点滴をしてほしいと言うことが多いので、
その希望に応えて点滴をしてあげます。
すると、さっきまで下痢と腹痛、嘔吐で苦しんでいた患者さんが、
点滴をしている間はベッドでゆっくり眠り、
目が覚めた頃には、だいぶ症状が和らいでいるということがよくあります。

点滴には何の薬も入れず、いわゆる「水」だけですが、
これで症状が改善するのです。
これが「思い込み」の力なのです。
私は治療に、しばしばこの力を利用させてもらっています。

点滴に栄養が入っていなくても、
そういう意味では十分に役立つのです。
点滴様様です。


自分らしく幸せに満ちた人生を送るために

2017年03月22日18:35

ホリスティック医学協会も今年30周年を迎えます。
それを記念して9月24日(日)にロームシアター京都で
30周年記念シンポジウムを開催致します。

テーマは『脳と潜在意識でいのち☆きらめく
~自分らしい人生を健やかに生きる』です。

演者は
茂木健一郎(脳科学者)、
メンタリストDaiGo、
奥平亜美衣(作家、「引き寄せ」の教科書著者)
帯津良一(ホリスティック医学協会名誉会長)
の4人です。

30周年という記念すべきシンポジウムですので、
何か画期的な、そして皆さんがとても興味を持ってもらえるような
そんなシンポジウムにしたいと思い企画を練りました。

私たちは誰でも一度は、
人生とは何か、幸福とは何かといったことを
考えたことがあるのではないでしょうか。

いくら幸せになりたい、お金を儲けたい、
よい人間関係を築きたい、健康でありたいと思っていても、
なかなか自分の思い通りにいかないのが人生です。

しかしその一方で、劣悪な環境で育ち、貧困に苦しみ、
多くの困難を経験し、絶望のどん底に突き落とされた人でも
今は幸せに満ちた生活を送っている人もいます。

いったい何が、このような違いを生むのでしょうか。
もちろん、持って生まれた才能や環境も少なからず
影響をもたらしていると思います。

しかし、せっかく恵まれた才能や環境があったとしても、
それを上手く活かすことができなければ
結局は空しく満足感のない人生になってしまいます。

逆に、どんな状況であれ、
自分らしさや自分の思いを大切にしている人は
人が助けてくれたり、仲間に恵まれたり、
思わぬチャンスが舞い込んできたりするものです。

しかし、この「自分らしさ」とか「思い」といった、
曖昧な表現しかできない「心の力」の正体とは一体何なのでしょうか。
自分を幸せにし、人生に満足感をもたらす原動力となる
この「心の力」は、どうしたら発揮することができるのでしょうか。

今回のシンポジウムは、まさにこの曖昧模糊とした「心の力」を
脳や心、潜在意識、スピリチュアリティといった視点から
4人の演者にそれぞれ語ってもらい、
自分らしく幸せに満ちた人生を送るために必要なコツや秘訣、
それを実現するための具体的な方法などを明らかにすることで、
参加者の一人ひとりが自分の可能性に気づき、
これからの新たなる人生を切り開く第一歩になったらという思いから
企画させて頂きました。

つい先日、すべての演者が決まったばかりであり、
今はチラシやHPの作成、チケットの販売の準備をしている段階です。
チケットは5月1日から発売予定です。
もう少しお待ち下さい。

皆さんと9月24日に京都の地で、
満面の笑みでお会いできるのを楽しみにしています。
http://www.holistic-kansai.com/





延命処置に対する「同意なき同意」

2017年02月22日18:23

緩和ケア病棟に入院される患者さんは
すべて治療困難な末期がんの患者さんなので、
原則として、最後、亡くなりそうな状態になったとしても
救命処置や延命処置はせず、
そのまま静かに見守りながら、
旅立ちの時を迎えることになります。

当然延命処置をしないことは、
事前に本人や家族から同意をとりますが、
ときには、その同意が容易ではないケースもあります。

末期の定義は曖昧なところがありますが、
簡単に言うと、手術や抗がん剤といった積極的な治療をすることが、
かえって状態を悪化させてしまうことが予想される時期のことです。

食事も食べられず、衰弱も甚だしい患者さんは
誰が見ても末期だとわかるのですが、
大抵の場合、亡くなる3ヶ月前までは、
食事も食べられるし旅行にも行けるので、
普通の人と変わらないと言っても過言ではありません。

そのため、末期がんと診断されたから
緩和ケア外来に来ましたと言われても、
一見、元気そうな人を目の前にして、
「最後のときでも延命処置などはしませんがよろしいですか」
などといきなり言うわけにはいきません。

そのようなケースでは、しばらく外来でフォローし、
状態が悪くなれば緩和ケア病棟に入院してもらいますが、
あとはタイミングを見計らって、本人や家族に話をすることになります。

そのため、延命処置をしないという意思表示の確認が曖昧なまま
緩和ケア病棟に入院になることもよくあります。

入院後、家族に延命処置はしないけどもそれでよいかということを
それとはなしに確認すると
大抵の場合は、最後は苦しむようなことだけはないようにして頂ければ
それで結構ですという返事がかえってきます。

しかし必ずしも、そうは思っていない家族もいます。
以前、脳腫瘍で入院された患者さんの夫もそうでした。

85歳の女性でしたが、最近物忘れがひどく、
ふらつくこともあるので変だと言うことで医者に診てもらったところ、
脳腫瘍が見つかりました。

すでに手術ができる状態ではなく、
放射線療法をしたのですが、それも限界があります。
結局もうこれ以上、治療を続けても意味がないと説明を受け、
緩和ケアを紹介され、入院となった患者さんでした。

食事はもちろんのこと、会話もできなくなり、
呼びかけにも徐々に反応しなくなってきました。
娘さんや息子さんは、
このまま亡くなるのもやむを得ないと思っていたのですが、
夫だけが全くそれを受け入れることができませんでした。

とにかく、元気になってもらわなくてはの一点張りで、
死ぬなどということは、全く考えていないようでした。

しかし脳腫瘍の患者さんは、いつ何時呼吸が止まるかわかりませんし、
嘔吐をしてそれを喉に詰めて窒息死することもあるので、
そのような状況になったときに延命処置をするか否かの確認は、
早めにしておくにこしたことはありません。

ところが、意識が下がっている妻に対して、
「早く元気になってな」「先生がよくしてくれるから大丈夫だよ」と
絶えず声をかけている夫を前にすると、
なかなか、最後のときの対応の話ができませんでした。

そんなある日、突然嘔吐をしました。
何度が大量の嘔吐をしたのですが、食事は全くしていないので、
全て胆汁の混ざった緑色の嘔吐物でした。
その後、嘔吐は治まり、再び同じようにずっと寝ている状態に戻りました。

しかし、嘔吐物を詰めて窒息死する可能性もあったわけであり、
そろそろ最後のときの対応につて確認を取っておかないといけないと思い、
次の日に夫と、息子さん、娘さんの三人に対して話をさせて頂きました。

私は「呼吸が止まっても延命処置はせずに、
静かに見守りながら最後のときを迎えさせてあげたいと思っているのですが、
いかがですか?」とたずねました。
息子さんや娘さんは現状を十分に理解しているため、
呼吸が止まったときに心臓マッサージや人工呼吸器をつけるといったことは
全くする必要はないと思っていますので、それで結構ですと言っていました。

ところが夫だけが違いました。
「私は、何とか元気になってもらいたいんです」とそればかりでした。
一通り話を聞いたあと、再び同じことをたずねたのですが、
またしても、質問には答えてくれず、
「どんなことでも、可能性があると思う治療があったらしてあげて下さい」
と言うだけでした。

私は、「呼吸が止まったときに、
静かに見守っていてもよいかどうかの返事をもらわないと、
その時の対応に大変困ることになるので、
今の段階でのご主人のお考えを教えて下さい」と再度確認しました。

すると、ようやく重い口を開き
「先生のおっしゃっていることはよくわかっています。
でも、だからと言って『はい、それでいいです』なんて言えますか」
と言うのです。

この言葉を聞いて、私は理解しました。
夫は頭では、延命処置をしてもどうしようもないということはわかっていたのですが、
延命処置をしないことに同意するということは、
妻が死ぬという現実を認めることになってしまうため、
敢えて返答を避けていたのです。

妻が元気になるという前提で、ずっとかかわってきているにとって、
妻が死ぬなどということは、これっぽっちも考えたくないのです。
だからこそ、延命処置などという死を前提とした話などしたくなかったのです。

頭で理解していても、それに気持ちがついていかないということはよくあります。
がんを告知されたときもそうです。
頭ではわかっても、何かの間違えではないかと思ったりして、
なかなか現実を受け入れることができません。

人間とは、そのような生き物なのです。
自分が認めたくないことは、受け入れるのを拒むものなのです。
たとえそれが紛れもない事実だとわかっていたとしても。
それが人間です。

結局、夫からは
延命処置をしなくても結構です、という返事はもらえませんでした。
でも、それでいいと思いました。

まだ妻が元気になることを強く願っている夫に対して、
これ以上、死を前提とした話をするのは酷だと思ったからです。
多分、生きている限り、死ぬという現実を受け入れることはできないとお思いました。
妻の死という現実に直面して初めて、
その現実を受け入れざるをえなくなるのであり、
その時が来るまでは、もうそれ以上問い詰めることはしまいと思いました。

それから半年の歳月が流れたころ、最後のときは突然やって来ました。
いつものように朝、夫が来るとなんか様子がおかしいとコールがあり、
ナースが訪室するとすでに呼吸が止まっていました。
つい10分前にナースが見たときには普通に呼吸をしていたので、
本当に突然止まったといった状況でした。

顔からは血の気が失せ、手足は徐々に冷たくなっていきます。
しかし、夫はそんなことはものともせず、
今までと同様に「こんなことで負けちゃいかんで」
「先生に早くよくしてもらおうな」と声をかけていました。

夫は、すでに呼吸をしなくなり、冷たくなりつつある状態を見ながらも
そのような声かけをずっとしていました。
ただ、亡くなったことがわからないのではなく、
亡くなったことを認めたくないという思いだったと思います。

呼吸が止まって約2時間後に、家族全員がそろったので
そこで私が死亡確認をしました。
夫はそのときは何も言いませんでしたが、
私が「今までよくばん張ってこられたと思いますよ」と言うと、
「先生には感謝していますし、このご恩は一生忘れません。
でもだからと言って、『はい、わかりました』とは
言えないのが普通じゃないですか」と言っていました。

最後の最後まで夫は、自分の口からは
妻が亡くなったことを認める発言はありませんでした。
でも、それでいいと思っています。
頭ではわかっていても、事実は認めたくないということはあるのですから。

一週間後、夫が病棟にお礼を言いに来ました。
短い感謝の言葉を述べ、そのまま病棟をあとにしました。
まだ悲しみを引きずっているのは明らかでしたが、
その後ろ姿を見ながら、
絶対に受け入れたくない妻の死は、
受け入れざるを得ない現実に直面することでしか、
受け入れることはできなんだなということを、
ひしひしと感じていました。

同時に、同意とは何かということを
あらためて考えさせられたエピソードでもありました。

同意が取れなければ、同意したことにはならないというのが一般的ですが、
このケースでは夫からの延命処置はしなくてもよいという同意は取れませんでした。

しかし、実際に呼吸が止まりかけ、そして止まった状況に立ち会いながらも、
延命処置をしてくれといったことは一切言わず、また騒ぐこともなく、
今までと同じように、冷たくなりつつある妻に対して声かけをしていました。
この事実から、夫は延命処置をしなくてもいいということに
同意してくれていたということがあらためて確認出来ました。

同意書がはびこる医療の世界で、
一般論としてこんなことが通るとは思っていませんが、
相手にこれ以上辛い思いをさせないためにも、
これからも、同意のない同意を取ることも
場合によっては必要だなと思いました。

マニュアルがあると、あたかもそれが絶対であり、
それに反することはしてはいけないという錯覚を
持っている人が少なくありません。

マニュアルはあくまでもマニュアルであり、
もしマニュアルに従わないやり方の方が、
患者さんやその家族にメリットがあると思われた場合には
状況に応じて臨機応変に対応するべきだと私は思っています。

私はそのことを、この患者さんの夫を通して
あらためて教えてもらった気がしました。



プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://holicommu.web.fc2.com

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