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幸福な気分とミラーニューロン

2018年11月01日17:59

人の脳にはミラーニューロンという
神経細胞があると言われています。
これは、他者の行為や行動を見て、
あたかも自分も同じことをしているかのように
反応する神経細胞です。

例えば、人が笑顔で微笑んでいるのを見ると、
自分も自然とうれしくなり、笑顔になったり、
人が泣いているのを見ると悲しくなったり、
スポーツ観戦をしていると自分も興奮してくるのも、
ミラーニューロンによるものだと言われています。

また人の話を聴いて共感できるのも、
相手の体験を、自分が体験したかのように感じるからであり、
これもミラーニューロンが関係していると言われています。

日常や職場でもそうですが、
楽しそうにしている人が傍にいると、
自分も楽しい気分になりますし、
周囲にイライラしている人がいると、
自分にもそのイライラがうつってしまい、
なんかイライラした気分になったりします。

先日、親戚の結婚式がありました。
それに先立ち、二人のアルバムを作成するための
写真撮影会がありました。

私も少しだけ撮影現場を覗かせて頂いたのですが、
そのときの二人の幸せそうな笑顔を見ていると、
こちらまで本当に幸せな気分になってきました。

笑顔には病人をも癒す力があります。
以前、呼吸状態が悪い患者さんがおり、
とても苦しそうにしていたのですが、
その患者さんのところに、
赤ちゃんを連れて行き見せてあげたところ、
先程までの苦悩表情が一瞬ウソのように消え、
笑顔になったのです。

赤ちゃんの純真無垢な笑顔は、
苦痛の真っ只中にいる患者さんの表情をも
笑顔に変える力があるんだと驚いた記憶があります。
これもミラーニューロンの働きによるものかもしれません。

このようなことからも、他人の行動や行為に接することで、
私たちは少なからず影響を受けていることがわかります。

逆の立場に立ったならば、
私たちの振る舞いや感情が、
相手にも伝染するということです。

自分がハッピーだという思いを持っていれば、
周りもハッピーにすることができるのです。
そのためにも、先ずは自分が少しでも
ハッピーな気分になることから初めてはどうでしょうか。

例えば、誰かの笑顔に触れるとか、
癒される風景を思い浮かべるとか、
そんな身近なことでかまいません。

先ずはそんなことから初めるのはどうでしょうか。


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ノーベル賞報道に対する喜びと心配

2018年10月02日16:26

先日、ノーベル医学生理学賞が発表され、
京都大学特別教授の本庶佑さんが受賞しました。
彼が発見した免疫にかかわるタンパク質「PD-1」が
今話題の新薬である「オプジーボ」の開発につながっています。
日本人がまたノーベル賞を受賞できたということは
とても嬉しいことです。

2011年にはラルフ・スタインマンが
樹状細胞の役割を解明したということで、
同じくノーベル医学生理学賞を受賞しています。
こちらは、樹状細胞がんワクチン療法という、
オプジーボと同様、
がんに対する免疫療法の開発につながっています。

ただし、樹状細胞ワクチン療法は、
保険診療では認めてられていないため、
すべて自由診療による治療になります。

そのため治療を受けるとなると全て個人負担となり、
施設によっても異なりますが、
治療費は1クール数百万円かかります。

一方、オプジーボは保険診療で受けられる治療なので、
患者さんの負担は実際にかかる費用の1割~3割になります。
当初オプジーボは、年間3000万円以上かかる薬でした。

今は薬価の値下げによりだいぶ安くなり、
来月からはさらに値下がりしますが、
それでも、1回30万円前後はかかります。

これを2週間に1回、治療を受けるのですが、
仮に1年間続けたとすると約720万であり、
1割負担だとすると患者さんは年間72万円の支払いになり、
月々6万年程度の支払になります。
残りの費用は健康保険で賄われることになり、
それらは国民の税金により支払われることになります。

樹状細胞ワクチン療法のように、
治療を希望する人が全額負担するのと異なり、
医療保険で賄われる治療に関しては、
患者さん自身にはあまり負担がかからないかわりに、
国民みんなの税金でその負担を受けることになります。

治療が高額になればなるほど、
医療保険で支払われる額も高額になり、
そうなると、いずれは国民健康保険制度が崩壊することにも
なりかねません。

今は、ノーベル賞を取ったことで
オプジーボのよい面ばかりに目が向けられていますし、
その勢いに乗って、今後はさらに
オプジーボで治療されるがん患者さんも増えてくると思います。

もてはやされればされるほど、
どんどん医療費は高騰し、国の財政を圧迫することになります。
みんながノーベル賞受賞を喜んでいるのを見て、
ちょっと心配になってしまうのは私だけでしょうか。


人はみな不完全で未熟な存在

2018年09月02日17:44

私は、人はみな不完全で未熟な存在だと思っています。
どんな偉い人でも、
人間としての欠点を持っているのが普通ですし、
愛だけ善だけで生きていけるほど、
世の中は甘くないと思っています。
一見、聖人君子のような人格者のように見える人でも、
家庭内ではとんでもない暴君だったりするケースも
少なからずあります。
人間なんてそんなもんです。

また、自分を磨き、高め、
成長させることの大切さもよく言われます。
私も、それは大切だと思うのですが、
ただ、高い目標を掲げ、
がむしゃらに頑張っている人の中には、
空回りや挫折を繰り返して、
なかなか前に進まない人も少なくありません。
気張りすぎても頑張りすぎてもうまくいかないのです。

その点、私なんかは結構気楽に、
かつ周りのことをあまり気にすることなく、
自由気ままにやっています。

例えば、服装はほとんど気にしませんし、
身だしなみもかなりいい加減です。
ひげの剃り残しは当たり前ですし、
穴の空いた靴下を履いていても気になりません。

電車に乗るときは、必ず4人掛けの椅子に座り、
靴を脱いで前の座席に足を載せて座っています。
傍から見たら、かなり行儀が悪いと思われるでしょうが、
この姿勢が一番楽にすごせるので、
いつもそうしています。
もちろん、空いているときだけですけど。

よく飲みに行ったりもしますが、
一般的な居酒屋が一番居心地よいです。
たまに料亭やホテルのコース料理などを
食べる機会もありますが、
この畏まった感じが、窮屈で嫌いです。
私はそんな人間です。

私が定期的に開催している
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーでも
参加者の皆さんから、
「セミナーの雰囲気がとてもゆるいから居心地がいい」
とよく言って頂きます。

またセミナーでは、私の身近で起きた出来事や、
頭にきたこと、失敗してしまったことなどについても、
よく話します。

家庭では妻とよく喧嘩をしますし、
病棟でもナースと言い合いにあることもしばしばです。
でも、それが人間だと思っていますし、
またそれが私の生の姿でもあります。

ただ、そのような話をオープンにした方が、
参加者は逆にホッとするようです。
参加者の人たちからすれば、
コミュニケーションを専門に教えている先生は、
どんな場面であってもコミュニケーションを上手に取り、
喧嘩やもめ事なんて、ほとんどないに違いないという
思い込みがあるようです。

しかし実際には、私もごく普通の人間なので、
皆さんと同様、全てにおいてうまく
コミュニケーションがとれるわけではありません。
頭に来ることやむかつくことだってよくあります。

そんな自分であることをはっきり伝えることで、
真実みや人間らしさが伝わるせいか、
逆に信頼感や安心感を持ってもらえるようです。

自分は欠点も多く、まだまだ未成熟な人間だということを
前提にして話をする方が、
ヘンな隠し立てをしなくてもすみますし、
自分を無理に飾り立てることもないので、
ストレスがたまらなないしとても楽なのです。
いくら装っても、そんなものすぐにばれます。

時々、一生懸命でまじめな参加者の方から、
「先生のように生きられたら、本当に楽だろうなって思います」
と言われることがありますが、
確かに、そう思います。実際楽ですから。

ただ、いつもお気楽に過ごしていくだけでは、
どこか物足りなさや、成長しているという実感が持てません。
だからこそ、いい加減さやお気楽さをベースに置きながらも、
自分を変えるために、やれそうなことがあれば、
それにはチャレンジしていこうと思っています。

あくまでも、これならできるかもしれないと
思えることにチャレンジするのであって、
むやみやたらと高い目標を立てて、
それに向かってが一路邁進するなどという 
しんどいことはしたくありません。

そこが私は重要だと思っています。
決して理想論や高い目標を追い求めるのではなく、
身の丈にあったことをやっていけば
それでよいと思っているのです。

また、自分は不完全で未熟な人間であることを自覚しつつ、
気楽に振る舞いながらも、
その上で、自分を成長させる上で必要だと思うことは
無理をしない程度に自分のペースでやっていく。
そんな生き方が私には合っています。

皆さんはいかがでしょうか。


患者さんはウソを言う!?

2018年08月03日07:43

どこでもそうだと思いますが、
私のいる緩和ケア病棟でも、
患者さんの訴えを十分に理解できないことが時々あります。

先日ある患者さんが、
「えらくて仕方がない、何とかして欲しい」と
ナースが訪室したときに訴えてきたと、
ナースから私に報告がきました。

末期がんの患者さんに対しては
全身倦怠感を取るためにステロイドをよく使用するのですが、
この患者さんは、すでに十分量のステロイドを使用していました。

一方で、この患者さんは、毎日食事を全量摂取しており、
普段は肘枕の姿勢で横になっています。
そのような状況を見る限り、
いわゆるがん末期に訪れる「身の置き所のないえらさ」とは
どうも違うような気がしました。

そこで、「どこがえらいの?」とたずねると、
胸のあたりをさすって「ここがえら」と言うのです。
つまり息苦しさがあるため「えらい」と言っていたわけです。

もともと酸素はしており、酸素濃度もさほど低くはないのですが、
本人からすると、「えらい」と感じるようでした。
そのため、呼吸困難感を取るために
モルヒネの持続皮下注をしたところ、
楽になったと言って喜んでいました。

このように患者さんが「えらい」と言った場合、
身体がだるくてえらいのか、痛くてえらいのか、
息苦しくてえらいのか、はっきりわからないことがしばしばです。

だからこそ、「えらさ」の意味するところを患者さんに
しっかりと確認する必要があり、
そうしないと適切な対処ができないのです。

また、こんな患者さんもいました。
神経にピリッとくるような発作的な「激痛」が
喉から頭にかけて走るというので、
前の病棟ではロキソニンという鎮痛剤が処方されていました。

一般に、患者さんが痛みを訴えたときのために、
通常は、主治医が事前に指示を書いておきます。
そのため私も、「疼痛時にはロキソニン」と指示を書いておきました。

ナースのカルテ記録を見ると、
一日に数回、ロキソニンを飲んでもらっている記録がありました。
そこで患者さんに、その痛みはどれくらい続くのかとたずねると、
数秒程度だというのです。

つまり、発作的に一瞬痛みが走り、
あとはすぐに治まるというのです。
では、何でロキソニンを飲むのかとたずねると、
ナースに痛みはないかとたずねられたので、
「痛い」と伝えると、ロキソニンを持ってきてくれたので、
それを飲んだというのです。

そのときには痛かったのかと確認すると、
痛みはすでにないとのことでした。

要するに患者さんは、
発作的な激痛があったという話をしたのですが、
それをナースは、今も痛みがあると解釈したようでした。

しかし、痛みが治まったあとに痛み止めを飲んでも意味はなく、
たとえ発作の真っ最中にナースがいたとしても、
薬を持ってくる頃には発作は治まっていますし、
かりに薬を飲んだとしても
薬が効いてくるまである程度時間がかかってしまいます。

つまり、このような数秒で治まる発作的な痛みに対して
鎮痛剤を処方するというのは全く意味のないことなのです。
もしも薬を使うのであれば、
そのような発作が起こらないようにする
薬を使用するべきなのです。

このように、患者さんの言葉を
文字通りに受けとめてしまうと、
本当に必要な対応ができなくなってしまう場合がしばしばあります。

患者さんの訴えを聞く場合には、
何のことを言っているのか、確認しながら聞くことが大切です。
表向きの言葉を、何も考えずに受け入れてしまうと、
思わぬ失敗をすることになるので注意が必要です。


テーマ : 思うこと
ジャンル : その他

医学部の学生実習

2018年07月04日18:08

毎年、学生実習があり、
私がいる緩和ケア病棟にも
医学部の学生が実習に来ます。

彼ら、彼女らに、患者さんとの関わりを通して、
緩和ケアの考え方や医療におけるものの見方などについて
毎回話をしたり、質問に答えたりしています。

そこでいつも感じるのは、学生のうちはみんな、
患者さんを「人」としてかかわる視点を持っているのに、
医者になると患者さんのことを「病んだ肉体」と
見なすようになってしまうんだなということです。

学生の時は、医学の知識があると言っても、
まだ実際の経験がないので、患者さんに対する見方は、
ほとんど一般の人と変わりません。

つまり、患者さんの思いを大切にするとか、
こちらの考えを一方的に押しつけてはいけないとか、
ごく当たり前な考え方を持っています。

しかし医者になり、実際に治療に携わるようになると
その思いはどこかに飛んでしまい、
自分が身につけた医学の知識や
先輩医師に教えてもらったことが絶対で、
患者さんという、医学の素人が持っている思いや考えなどには
あまり耳を貸さなくなってしまうのです。

なぜならば、医学部で学ぶことは膨大であり、
そのほとんどは、当然のことながら病気に関することです。
病気の種類や原因、診断方法、治療の仕方など事細かく学び、
医者になればさらに専門的な勉強をしながら
実際の治療にあたることになります。

そのような、「病気」のことしか頭にない環境の中で
長年過ごすことになるので、
患者さんが「病んだ肉体」にしか見えなくなるのも
無理からぬことだと思います。

医学部の環境もそうですし、
また医者になってやることもそうですが、
とにかく患者さんを診ると、
ほとんど「病気」のことにしか目が向かず、
患者さんの思いや家族の心配などは、
病気を治すこととは関係ないと思っているのか、
スルーされてしまうことがしばしばです。

そんな、病気にしか目を向けない医者に対して
時々、文句を言ったり、怒り出したりする患者さんもいます。
そんな患者さんは「へんな患者」「厄介な患者」
「モンスターペイシェント」と呼ばれるようになり、
医者からはかなり面倒がられ、嫌われることになります。

患者さんの思いに目を向けず、
自分の思いを一方的に患者さんに押しつけていることが、
患者さんの怒りを買っているというのに、
そのことに気づける医者はほとんどいません。

その一方で、中には患者さんの思いを大切にするという感覚に
少しずつ目覚めていく医者がいるのも事実です。
最初の10年くらいは、治療をすることに夢中で、
なかなかそのような思いにはならないのですが、
ある程度経験を積んだ頃に、ちょっと痛い目にあったり、
医療ミスで患者さんを悲しませたりした経験をすると、
それをきっかけに、患者さんの思いを大切にすることの重要性に
気づく医者がいるということです。

もっとも、そのようなことを考え、
自分の在り方を変えなくてはと思ってくれる医者は
かなり善良な医者です。
どんな経験をしても、そのようなことなど考えることなく、
最後まで患者さんを「病んだ肉体」にしか見えない医者も
たくさんいます。

病院実習に来る医学部の学生には
今のような話をよくするのですが、
今日話したことは、10年くらい後になって
思い出してもらったらいいと言っています。

と言うのは、学生の時には、
患者さんの思いを大切にするというのは
あまりにも当たり前すぎて、
その重要性がまだピンときません。

さらに医者になったら、しばらくは医療に専念し、
先ずは一人前の医者になってもらわないと話しになりません。
ですから、とりあえず5~10年は
一生懸命に経験を積むことが必要です。

その頃には、色々悩んだり考えたり
壁にぶつかったりすることもあるので、
そのときに、私の話を思いだしてくれたら、
それで十分だと言っています。

実習に来てくれた学生が、将来行き詰まったときに
私の話を思い出してくれることを願いつつ、
これからも学生実習を続けて行こうと思っています。



テーマ : 思うこと
ジャンル : その他


プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://kuromarutakaharu.com

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