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「緩和ケアの医療化」という問題

2019年07月12日16:42

先日、横浜であった日本緩和医療学会に行ってきました。
その中で、淀川キリスト教病院名誉ホスピス長の柏木哲夫先生が
「Science & Art」(科学と芸術)というテーマの講演をされたのですが、
これがとても印象に残ったのでそれについて少し書かせて頂きます。

柏木先生は、45年程前に日本で初めて
ホスピスプログラムをスタートさせた先生であり、
まさに「日本のホスピス緩和ケアの父」といえる存在です。

ご存じのように、
緩和ケアは主に終末期のがん患者さんの肉体的、精神的苦痛に対処し、
最後まで人間らしく、穏やかな時間を
過ごしてもらうための医療やかかわり、ケアを提供しています。

ところが近年、ある問題がクローズアップされてきました。
それが「緩和ケアの医療化」という問題です。
これはどういうことなのでしょうか。

以前は、がん患者さんの身体的苦痛のみならず、
死への不安や恐怖、残される家族への悩みや心配といったことにも
積極的に耳を傾け、少しで癒しがもたらされるように
様々な工夫や配慮をしていました。

また緩和ケアでのスタッフのあり方を表現した
「Not Doing, but Being」、
つまり「何かをするのではなく、ただ傍にいるだけでよい」という思いも、
誰もが当然のように持っており、
緩和ケアではそれが普通に実践されていました。

ところが、緩和ケア病棟が全国に広がり、
その存在が一般に知られるようになるにつれ、
状況は次第に変わってきました。

それはどういうことかと言うと、
通常の病棟と同様、身体面へのアプローチが中心となり、
その対応も薬物療法が主なものとなっていったのです。

もちろん心理的側面にも配慮はなされますが、
それは不穏やせん妄、うつといった
精神症状に対する薬物療法のような対応が中心であり、
本来の緩和ケアのあり方であった、
患者さんの思いに寄り添った、
心と心のかかわりやケアというものが
少なくなってきてしまったのです。

つまり、一般病棟のかかわりと
緩和ケア病棟でのかかわりとでは、
あまり大きな違いがなくなってきてしまったということです。
これが、いわゆる「緩和ケアの医療化」という問題です。

緩和ケアももちろん医療ですので、
モルヒネをはじめとする様々な薬剤を使いますし、
必要であれば腹水や胸水を抜くといった医療的処置もします。

でも、そのような身体的対処に加え、
患者さんを、一人の「人」としてかかわり、
悩みや問題に真摯に耳を傾け、
どうすれば少しでも最後の時間を
安心感や穏やかさをもって過ごしてもらえるのか、
そんなことを真剣に考えながら、
患者さんと日々かかわるということも重要なのですが、
それがあまり意識されなくなってきてしまったということです。

このことは、学会の雰囲気や発表内容、
シンポジウムの様子を見てもわかります。

緩和ケアの分野でもEBM(エビデンス・ベースド・メディスン)、
つまり科学的根拠に基づい医療の大切さが
強調されるようになってきました。
つまりこれはサイエンス(科学)の側面です。

もちろんこのような視点も重要ですが、
本来の緩和ケアの視点である、
患者さんの心に寄り添った丁寧なかかわり、
つまりアート(芸術)の側面も忘れてはいけないのです。

緩和ケアの分野では、サイエンスとアートの視点を
バランスよく持っていなくてはいけないはずなのですが、
そのバランスが近年、サイエンスの方に偏りすぎてしまい、
アートの側面が小さくなっている傾向にあるのではないかと
柏木先生はおっしゃっていました。
それは私も同感です。

もっとも、このような状況になってきたことには
いくつかの要因が関与していることもわかっています。
それは医療システムの変化や
患者さんの増加と、医者やナースの慢性的な不足、
スタッフの世代交代による緩和ケアへの理解の変化などです。

今は昔と違い、緩和ケア病棟に長期間入院しているということが
制度上、難しくなってきています。
逆に、緩和ケア病棟に入院した患者さんでも、
ある程度の期間が過ぎると退院を促すようになってきています。

医療システム上、また病院の経営上、
やむを得な側面もあるのですが、
そのような、仕組みや制度という枠の中で、
本来の緩和ケアのかかわりをし続けるというのは、
確かに難しいことです。

またナース不足は緩和ケア病棟に限った話ではありませんし、
緩和ケア医の絶対数の不足はいかんともし難い状況です。

当初、緩和ケアが立ち上がった頃の理念はすばらしかったのですが、
時代とともに、医療的ケアが中心となってしまい、
患者さんの傍に寄り添い、悩みに真剣に耳を傾けるといったかかわりが薄れ、
その結果、緩和ケアも一般の病棟と同じようになってしまったという、
「緩和ケアの医療化」は、確かに由々しき問題だと思われます。

柏木先生の話を聴いて、
この問題を何とかしなくてはいけないと、
思いを新たにした次第でした。



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もうひとつの利尻・礼文の旅(前半)

2019年06月13日18:27

毎年1回、三泊四日の旅行をするのですが、
今年は利尻島と礼文島に行ってきました。

実は30年程前に北海道の病院で
3ヶ月だけ働いたことがあり、
その際、関西に戻る前の1週間を利用して、
利尻・礼文には行ったことはありました。

しかしその時は天候があまりよくなく、
楽しんだという記憶はありません。
今回はそのリベンジという思いも込めて旅に望みました。

初日は移動日であり、
朝8時過ぎに家を出て、名古屋まで新幹線で移動し、
そこから飛行機を乗り継いで稚内まで飛び、
夕方の6時には稚内のホテルにチェックインしました。

ホテルのすぐ傍にはJR稚内駅があるのですが、
ここが何ともユニークでした。
なんと「JR稚内駅」と「道の駅」が
同じ建物の中にあるのです。

道の駅は、道路に駅があってもいいじゃないか、
という発想からできたのですが、
それがJRの駅と一緒のところにあったら
道の駅の意味がないんじゃないの?と突っ込みたくなりました。

まあ、そんなことはどうでもいいとして、
先ずは夕食を食べようと、
ホテルの前にあった小さな居酒屋さんに入りました。
年配の女性が、メモ用紙に鉛筆書きで注文を書くような、
そんな地元の素朴なお店でした。

カウンターの席に座り、メニューを見ながら注文。
えいひれの唐揚げがお薦めだと言われたので、
とりあえずそれと、他にお造りなど数品を注文しました。

唐揚げにしたえいひれは初めてでしたが、
コリコリして結構美味でした。

焼き鳥もあったので、これも注文したのですが、
メニューには「1枚」と書いてあるのです。
焼き鳥1枚??とはどういうことかわからなかったのですが、
要は、焼き鳥を串に通しているのではなく、
お皿にバラバラと盛られているものでした。
所変われば品変わるですね。

また、地元の人はビールを注文する際、「生一」と言うそうで、
以前、観光客の人が「生中」と注文した際、
お店の人は熟考したあげく、生ぬるい焼酎を出したという
エピソードがあったそうです。
これも地方ならではの話ですね。

だいぶ酔いも回ってきた頃、
観光客らしい夫婦がちょうど私の隣に座ってきました。
ちょっと話かけてみると、
先日、利尻島一周55kmを走るマラソン大会があり
それに参加するために来たというのです。

しばらくその話しで盛り上がり、
酔った勢いに乗じて、
なぜか私も来年は挑戦してみるということになっていました。
どうなることやら。

旅行二日目はいよいよ利尻島です。
フェリーで利尻島に渡り、
すぐさまレンタカーを借りて、
6時間かけて島を一周しました。

あいにくの天気で、
お目当ての利尻富士は雲で覆われ見えませんでしたが、
途中、神居海岸パークに寄って
楽しみにしていたウニ取り体験はさせてもらいました。

ここは、本物のウニを自分で取り、
それをそのまま食べさせてくれる体験ができるところで、
ウニが大好きな私は、
ここだけは絶対に行きたい!と思い、
事前にしっかりチェックしていました。

本物のウニを触ったことがなかった私にとって
ここでの体験は初めてのことばかりでした。
また、スタッフの人がウニに関する驚きの事実も
色々と教えてくれました。

例えば、ウニのトゲトゲが動くことや、
水につけると管足という足をたくさんだし出し、
海中ではそれを使って移動すること、
いつも食べている黄色いところは卵巣だと思いきや、
精巣のこともあることなど、
初めてのことばかりでびっくりしました。

もちろん、取り立てのウニの味も最高でした!
生きたウニをその場で割って食べるというのが私の夢でしたから、
今日はその夢が叶い、大満足!

さらに、夜に泊まったホテルでもウニづくしの料理が出され、
そこでも、生きたウニを目の前で割って
食べさせてくれました。
ここでは黄色いところ(生殖巣)だけではなく、
内臓も食べられると言うので食べてみましたが、
これまたちょっと大人の味で、酒のあてには最高でした!

最後の〆がウニ丼でしたから、いや~満足、満足!
あまりに美味しかったので、ついお酒も進んでしまいました。
飲み代の追加料金が7,000円だったので、
オーナーも「よく飲みましたね~」と少々驚いていました。
(後半に続く)


もうひとつの利尻・礼文の旅(後半)

2019年06月13日18:26

(前半から続く)
旅行三日目は礼文島です。
先日は全く見えなかった北の名峰、利尻富士も
今日はその全景をしっかりと見せてくれました。

午前中は、“花の浮島”礼文島を歩き尽くしました。
フェリーターミナルに到着すると、すぐさまホテルに荷物を預け、
先ずはタクシーで「北のカナリアパーク」へ。

ここは吉永小百合主演の映画「北のカナリアたち」のロケ地であり、
舞台となった小学校岬分校が保存、公開されています。
私もこの映画は見ていたので、当時の写真や資料を見ながら、
そうそう、このシーンだ!と、当時の感動と興奮が甦ってきました。

「北のカナリアパーク」をあとにし、
そこからは7.3kmものトレッキングコースを
ひたすら歩き続けました。

高低差も200m以上あるため、山あり谷ありの道のりでしたが、
海に浮かぶ利尻富士と断崖と青い海が続く海岸を眺めながら、
辺り一面に咲き誇る高山植物を観察するというのは、
何とも贅沢な時間でした。

キンバイの谷や桃岩展望台からの絶景を楽しみながら、
再びフェリーターミナルまで戻り、
昼食を近くの食堂でとった後は、
レンタカーを借りて礼文島巡りをしました。

途中、レブンアツモリソウ群生地にも立ち寄りました。
これは特定国内希少野生植物種であり
北海道の天然記念物にも指定されているラン科の一種です。

今まで植物にはあまり興味がなかった私でしたが、
今回、礼文島で高山植物のお花畑を見て、
一気に花に興味がわいてきました。

そのためか、家に戻ってから「草花図鑑」なるものを購入、
早速、家や病院の近くを歩きながら
道端に咲く花を鑑賞して楽しんでいます。

閑話休題、再び車を走らせ澄海(すかい)岬やスコトン岬、
ゴロタ岬からの絶景を楽しんだ後は、
定番の観光スポット、桃台猫台展望台に少し寄ってから
ホテルに戻りました。

すぐさまホテルの最上階にある温泉につかり、疲れを癒しました。
部屋に戻りしばらくすると夕食が運び込まれ、
地元の海の幸をふんだんに使った料理に舌鼓を打ちながら、
ビールや熱燗、焼酎を片手に
普段は味わえない優雅な夕食に酔いしれていました。

実は今回もうひとつの目的がありました。
それは天の川を見ることです。
夜中の2時頃に目を覚ましたので
そのまま起きて外に出てみました。

幸い雲はなく、星も見えましたが、
ホテルの灯りが近いこともあり、
思ったほどのきれいには見えませんでした。
それでも、しっかりと天の川は見ることができたので、
この目的も無事果たすことができました。

そしていよいよ最終日。
ホテルでの朝食を終え、一路フェリーターミナルへ。
フェリーでの礼文島から稚内までの2時間の船旅の間、
次第に小さくなっていく利尻富士と礼文島を眺めながら
4日間の思い出を振り返っていました。

稚内空港に到着したのが12時、
飛行機が出るのが13時だったため
手続き等で時間を取られたこともあり、
昼食を食べる時間がありませんでした。

本当はビールでも飲みながら
ゆっくり昼食を食べたかったのですが、
羽田空港に着く15時頃まで、それはおあずけとなり
ちょっと淋しい気分になっていました。

放送に従い機内に入ると、
一番前のちょっと立派な席でした。
離陸後、しばらくしてシートベルト着用のサインが消えると、
なんと、小洒落た昼食が振る舞われたではないですか!

おまけに飲み物は?とたずねられたので
有料でもよいと思いビールを注文すると、
これまた無料でビールを持ってきてくれました。

よくよく見てみると、プレミアムシートだったのです!
自分で予約を取っておきながらすっかり忘れていました。
もっとも、プレミアムシートはただ単に椅子が
豪華になるだけかなと思っていたので、
昼食まで出てくるとはちょっとびっくり、
あきらめていた昼食が食べられたこともあり、
ちょっと感動でした!

食後はブラックコーヒーを飲みながら、
地図を片手に、あれが渡島半島だ!これは猪苗代湖だ!と
窓から実際の半島や湖を眺めていました。
これって、飛行機に乗ったときの私の楽しみのひとつなんです。

気分よく過ごせた飛行機の旅を終え、
羽田空港から品川駅に移動、
16時半の新幹線まで1時間ほど余裕があったので、
品川駅構内にある「ぬる燗佐藤」というお店で
一服することにしました。

ここは全国各地の日本酒を、
「熱燗」「人肌燗」「冷や」など
11段階の最適な温度で楽しめるというお店です。

そこで鰹のたたきをつまみに、
明鏡止水を55度のぬる燗でもらい、
味と香りを体にじっくりと染みこませるように
ゆっくりと流れる時間を満喫させてもらいました。

新幹線の中では、オードブルセットをおかずに
一番搾り(ビール)と山田錦(日本酒)を楽しみ、
19時には無事自宅へと戻ってきました。

今回の利尻・礼文4日間の旅は、
色々なことがありましたが、
飛行機や新幹線での移動のときも含め、
とても満足感の高い旅行でした。

ちなみにこの4日間は、
携帯やパソコンは全く使わなかったことはもちろんのこと、
本も読まず、ナンプレもせず、
日課であるブログや筋トレもお休みさせてもらい、
ただひたすら自然と語らいと、
食事やお酒を楽しんでいた4日間でした。
年に1回くらいは、
こんな時間の過ごし方をするのもいいのではないでしょうか。

ぜひ来年もまた訪れ、大自然を満喫しつつ、
今度はマラソンにも挑戦したいと思いました。


Spiritual Happiness~何が人を幸せにするのか

2019年05月30日18:31

今回が、令和に入って最初のブログです。
こちらは月1回の更新なので、
ちょっとのんびりペースであることお許し下さい。

さて、今回は10月6日(日)に大阪で開催する
ホリスティック医学シンポジウムin関西についての話です。

私が支部長を務めている
ホリスティック医学協会関西支部では
二年に一度、大がかりなシンポジウムを開催しており、
今回が15回目になります。

もっとも前回は、
関西支部ではなくホリスティック医学協会の
30周年の記念シンポジウムとしての開催で、
京都のロームシアターに1,500人ほどの人が集まりました。

その時は脳科学者の茂木健一郎さんやメンタリスDaiGo、
引き寄せの法則で有名な奥平亜美衣さん、
そして当協会の名誉会長の帯津良一先生を
演者に迎えての開催でした。

今回は「Spiritual Happiness(つながりの幸福論)
~何が人を幸せにするのか」というテーマで
開催することにしました。

現在、決まっている演者は、
淀川キリスト教病院名誉ホスピス長の柏木哲夫先生、
文化人類学者で環境運動家の辻信一さん、
児童精神科医の夏苅郁子先生です。

今回はテーマが示すように、
何が人を幸せにするのかということについて、
様々な視点から考えてみたいと思い、
今回の企画を立てました。

一般に幸せとは、健康で経済的にも安定し、
家庭的にも恵まれている状態をイメージします。

それはそれで、確かに幸せかもしれませんが、
逆に病気や貧困、恵まれない家庭環境で生きている人は
不幸なのでしょうか。

実は、こんな素朴な疑問が
今回のシンポジウムでは話の中心になるのではと思っています。

ホスピス緩和ケアを日本に紹介し、
その普及に多大なる貢献をされた
ホスピス緩和ケアの第一人者である柏木哲夫先生は、
まさに、日々死にゆく人と語らい、
長年、生と死をみつめ続けてきた先生です。

私も現在、緩和ケア医として仕事をしていますが、
幸福感の中で死んでいく人もいれば、
患者さんの死をきっかけに、
家族に勇気と希望が芽生え、
その結果、本当の幸せをつかむことが
できたという人たちもいました。

その意味では、病や死は必ずしも不幸とは限らず、
それが幸せの扉を開くこともあるのです。

また、夏苅郁子先生は、
現在、精神科医として
精神疾患をもった患者さんの診療に日々取り組んでいます。

その夏苅先生のお母さんは統合失調症であり、
その母親に育てられた彼女は、悲惨な子供時代を過ごし、
そのせいもあり、彼女自身が精神科の患者となり
医学部5年のときと研修医時代のときの2回、
自殺未遂をした経験を持っています。

そんな彼女が少しずつ自分を取り戻し、
そして今、幸せな家庭を築くまでに至った過程を
「人は、人を浴びて人になる」(ライフサイエンス社)には
詳しく述べられています。

この本を読むと、
心の病すら幸せと無関係でないことがよくわかります。

心の病があったからこそつながった人々、
心の病があったからこそ理解できたこと、
心の病があったからこそ感じられること、
それらがすべて、幸せに至る土台になっているのです。

そしてもう一人の演者である辻信一さんは、
スローライフや環境問題を専門に活動している文化人類学者です。
辻さんは、常識にとらわれない、
全く違った視点からの「幸せの形」を
示してくれるのではないかと期待しています。

この三人はすでに決定している演者ですが、
他にももう一人くらい講演をお願いするかもしれません。

興味のある方は、是非10月6日を空けておいてください。
詳しくはホリスティック医学協会関西支部のHPをご覧下さい。
(6月中旬頃に掲載予定です)


私が変わったこと、変わらなかったこと

2019年04月30日11:35

平成時代、最後のブログとして、
この30年間で、
自分の中で大きく変わってきたことと
全く変わっていないことについて、
書かせてもらいたいと思います。

先ず、大きく変わってきたことは、
治療に対すこだわりが
少なくなってきたことでしょうか。

心療内科時代は、
とにかく患者さんを治すことが中心であり、
そのためにありとあらゆる
工夫や試みをしました。

ホメオパシーも「心の治癒力」を引きだす
ひとつの「道具」になると考え、
診療に取り入れていたのもこの時期でした。

それはそれでとても充実感がありましたし、
治すことにこだわる時期があったからこそ、
今の自分がいると思っています。

しかし今は、治すことへのこだわりは
ずいぶんと減ってしまいました。

これは、治すことに
興味がなくなったという意味ではなく、
「治す」という上から目線のかかわりが、
治療の空回りを生み、
かえってうまくいかないので、
「治す」のではなく
「治る」のを支えるアプローチの方が
よいと思うようになったということです。

そのため、「がん患者さんへの
ホリスティックなアプローチ」に対する考え方も
ずいぶんと様変わりしました。

当初は、西洋医学的治療のみならず、
様々な代替療法も取り入れた、
統合医療的なアプローチをしたいと
思っていました。

しかし、個々の代替療法への関心は次第に薄れ、
その根底にある「心の治癒力」を
うまく引きだすための「かかわり」に
関心が移っていきました。

もちろん代替療法は、
そのためのひとつの手段ではありますが、
私の中では、それは、
患者さんとのよいかかわりを持つための
「儀式」や「道具」という位置づけに
変わっていったのでした。

ですから、がん患者さんへのアプローチも
「治す」ことを主体とするのではなく、
「治る」ことをサポートするための
かかわりを大切にしていこうという
姿勢に変化していきました。

その結果として、ときに
がんの自然治癒(寛解)も起こるのですが、
それは、あくまでも結果であり、
目的や目標ではないということです。

しかし、「治す」という姿勢で取り組むよりも、
その患者さんの「心の治癒力」や自然治癒力を
うまく活性化させるための
サポートに徹する姿勢の方が、
患者さんも気張り過ぎることがなくなるため、
結果としては、「治す」ことにこだわるよりも
よい方向に進んでいくのではと
今は思っています。

一方、この30年間、
全く変わっていないこともあります。
それは「心の治癒力を引きだす
コミュニケーション」への熱意です。

最初は、自然治癒力と心への関心といった、
漠然としたものでしたが、
それが心療内科時代には、
ブリーフセラピーによる治療として開花し、
その後はセミナーの開催という形で
その具体的な方法や考え方を
一般の人々に伝えるということに
力を注ぐようになりました。

また当初は、
症状や病気を治すための
コミュニケーションでしたが、
今は悩みや問題を解決するための
コミュニケーションへと、
裾野も広がりました。

もっとも前半で述べた
「治療に対すこだわりが
少なくなってきたこと」は、
「心の治癒力を引きだすコミュニケーション」が
より柔軟性を増すという形で進歩したと
捉えることもできます。

これからはさらに、
無意識や認知バイアスへのアプローチ、
意志力、習慣力、成長力への取り組み、
ポジティブ心理学、行動経済学、
コミュニケーション医学の視点も
視野に入れながら、
より充実したものにしたいと思っています。

明日から時代は、平成から令和に変わりますが、
「心の治癒力を引きだすコミュニケーション」
への熱意は令和になっても変わることなく、
さらなる発展、進歩を
遂げていけたらと思っています。

これからもお付きあいの程、
よろしくお願い申し上げます。




プロフィール

黒丸尊治

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://kuromarutakaharu.com

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