視力0.03でも天の川は見える!

2016年08月25日08:23

年に一度の三日間の夏休みを利用して
北海道に行ってきました。

過去、ソウル、釜山、済州島と
韓国を中心に旅行をしていましたが、
その後、行き先を国内に変え、
昨年は西表島へ、
そして今年は北海道(道東)に行ってきました。

伊丹空港から釧路空港まで飛び、
そこから釧路湿原をながめながら
摩周湖や屈斜路湖へ、
さらに知床まで足を延ばし、
最終日は網走に寄ったあと
女満別空港から関空まで帰ってくるというルートでした。

ほとんどがバスでの移動でしたが、
ガイドさんのお話を聞きながらの移動だったので、
結構楽しめました。

摩周湖は過去二回行ったことがあるのですが、
いずれも霧がかかっており見えませんでした。
今回は三度目の挑戦でしたが、
展望台に着くと、湖の半分は霧で覆われ
半分は霧が晴れているという何とも神秘的な光景でした。

その後、次第に霧が晴れ
ついにその全貌を現してくれました。
深いブルーに覆われた湖面を見下ろしながら、
しばし時が過ぎるのを忘れていました。

次の日は、朝からバスで知床まで移動、
ヒグマやエゾシカをウォッチングしたり、
知床峠から国後島を望んだりと、
知床の自然を思う存分満喫してきました。

そしてその夜、二十時半にホテルを出発し
再び知床峠に車で登りました。
目的は、満天の星空と天の川です。
今回の旅行の、まさにメインイベントです。

車を降りると、
そこには満天の星空が広がっていました。
「わ~すごい!」と
思わず声が出てしまったくらい、
夜空が星で埋め尽くされていました。

そして天の川。
今まで、天の川を見たいと
何度かトライしましたが、
多分これだろうなという程度の
天の川しか見たことがありませんでした。

しかし今回ははっきりと見えました。
まさに、天人が羽衣をまとって
天空を飛翔しているような、そんな姿でした。

私の視力は裸眼で0.03くらいですから
眼鏡を外すと10cm先のものもぼやけます。
そんなド近眼の私が眼鏡を外して天を仰ぎ見ても
天の川だとはっきりとわかるくらい、
その存在感は圧倒的でした。

地面に仰向けになって
全天に散りばめられた星々を眺めていたのですが、
これだったら何時間でも
見ていられると思うくらい
感動的なときを過ごさせてもらいました。

今回は、敢えて月明かりのない日を選んで、
旅行の日程を決めましたが、
それでも天候までは予想することはできません。
でも今回は星を見るのには絶好の日でした。
先日は見えなかったと言っていましたから、
今回は本当に運がよかったと思います。

摩周湖と天の川を見るという
二大目標を達成した今回の旅行は大満足でした。

都会生活を離れ、携帯電話もオフにし、
大自然に恵まれた北海道の地で、
のんびりとした時間を過ごすのは
この上ない幸せを感じさせてくれます。

来年も、少しコースを変えて
もう一度行ってもいいかなとも
思っているくらいです。
今から、来年が楽しみになってきました。

あっ、書くのを忘れていましたが、
今回の旅行は嫁さんとの二人旅でした。


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今は昔、私の今昔物語

2016年07月27日13:01

先日、39年ぶりに高校(男子校)の同窓会に出てきました。
同じ野球部の仲間が銀座でお店を開き、
そこが会場だというので、
当時のメンバーとも会いたいという思いもあり、
出席することにしました。

私は卒業以来、同窓会には一度も出席したことがなかったので、
会っても誰だかわからないという人が結構いました。
それに、当たり前なことですが、
みんなおじさんになっていました。

でも、会って話しをしているうちに、
昔のことがあれこれ思い出されてきました。

殴り合いの喧嘩をした彼は、現在坊さんになっていましたし、
同じ野球部で「先輩らは下手だからやめてください!」と
とんでもないことをズケズケと言っていた彼は、
そんなこと覚えていないなあと、
あの太々しさはすっかりなりを潜めていました。

当時、ぺしゃんこにした学生カバンを持って、
渋い顔をしながら教室を闊歩していたツッパリの彼は、
ごく普通のおじさんに変身していました。

天才的に勉強ができ、あっさり東大に入った彼は、
髪が薄くなりながらも、その面影は残し、
今は大企業のお偉いさんになっていました。

みんなとあれこれ話をしていると、
気持ちは、いつの間にか40年前に戻っていました。
高校時代ですから、色々と問題も起こしました。
人には言えないことも、それはあります。

でも、そんなことをも含め、
全て知っている仲間と会って話しができるというのは
普段とは比べものにならないくらいの解放感がありました。
とても懐かしく、また全てをさらけ出せる
心地よい時空間でもありました。

そんな同窓会での余韻がまださめやらぬ7月中旬に、
たまたま学会関連のメールが届き、
それを見てびっくりしました!

大学時代に出会った(「付き合った」ではありません)彼女が、
会長として学会を開催するというお知らせメールでしたが、
会長挨拶のところに彼女の顔写真が載っていました。

大学生当時は、モデルのように美しく、
男子生徒の憧れの的でしたが、
その写真を見ると、ごく普通のおばさんになっているじゃないですか!
ショック!ショック!ショック!

吉永小百合のように年を取っても
美しさを保っている人をイメージしてしまうせいか、
どうしても昔の美しさをそのまま保っていてほしいという
無謀な願望を抱いてしまう私がいけないのでしょうが、
それでも、若い頃の美しいイメージを
そのまま保っておいてほしかったというのが本音です。

男性も変わりますが、女性も変わるんですね、当然ですが。
これが生物としての必然性だということを
あらためて思い知らされた気がしました。

それからまた、30年ぶりに
大学時代の知り合いから突然連絡がありました。
彼は私よりも5歳年下で、今は建築関係の仕事をしているそうですが、
病気のことで相談があると、久しぶりに電話をしてきました。

彼は私が大学時代にバイトをしていた塾の生徒で
人なつこい性格だったので、何かとかわいがっていました。

彼は高校時代の同級生と結婚したのですが、
話をしているうちに、彼女に渡すラブレターの殺し文句を
考えてあげたりした思い出が見事に蘇ってきました。

懐かしさのあまり、奥さんは元気?とたずねると、
結婚後3人の子供に恵まれましたが、その後離婚し、
今は再婚し新たに3人の子供がいるというのです。

そうか、30年の間に色々なことがあったんだなと
ここでもまた、時の流れを感じずにはいられませんでした。

とにかく、この7月は
昔のことをあれこれ思い出す機会が多くありました。
と同時に、人も時代も環境もみんな変わるんだなと、
あらためて諸行無常という言葉が、
身に染みる一カ月でもありました。

PS 高校の同窓会では懐かしさのあまり飲み過ぎ、
  三次会まで行ってしまいました。
  もっとも三次会はほとんど寝ていたようで、
  帰る際に起こされ、目を覚ましたのですが、
  その時に、お店のお姉さんに請求された金額が
  なんと一人48,000円でした!
  そこはどうも、銀座のキャバクラだったようです。
  40年前の淡い思い出の世界から
  一気に世知辛い現実の世界に引き戻されてしまいました。
  それにしても、東京は怖いなあ‥


希望を失ったとき人は死へと向かう

2016年06月30日05:24

以前、80歳代で胃がんの肺転移で亡くなった男性患者さんがいました。

本人は末期がんだということはわかっていましたし、
生きていても意味がないので早く逝きたいとしきりに言っていました。

しかしその一方で、ちょっとした症状があると気になるようで、
鼻が詰まる、喉が痛いという訴えから、
足がむくんでいる、呼吸がしにくい、体がだるい等々、
様々な症状を訴えていました。

本人曰く、早く死にたいと言っておきながら、
ちょっとでも症状があるとすぐに心配になるなんて
矛盾してますよね、と。

死ねば楽になるという思いから、
早く逝きたいと、つい言ってしまうのでしょうが、
楽になるのであればもう少し生き続けたいという思いも
あったのではないでしょうか。

実は、彼が入院している間に妻が心臓の手術を受けることが
急きょ決まりました。

すると、あれほど早く死にたいと言っていたのに、
妻が手術を終え、元気になるまでは
自分は死ぬわけにはいかないと、
言うことがガラッと変わりました。

そして無事、妻の手術が終わったという連絡を受けると、
ホッと胸をなで下ろし、これで一安心だと喜んでいました。

すると今度は、妻が退院したら
自分も退院したいと言い出すようになりました。
その時は、食事も食べられ、
椅子に座って新聞やテレビを見ることもできたし、
トイレにも一人で行けていたので、
退院することは全く問題ないと思っていました。

その妻が退院後、病院を訪れた際にその思いを妻に伝えたようですが、
術後まだ二周間しか経っておらず、体調も万全ではないため、
帰ってきてもらうと負担が大きいので
もうしばらく待ってくれと妻に言われたとのことでした。

その日以来、がっくり彼は落ち込んでしまいました。
すっかり帰るつもりだったのに、
その見通しが全く立たなくなったことに対する
失望感だったのではないでしょうか。

以来、再び「早く逝きたい」を連発するようになりました。
常に体がえらいと言うようになり、
注射でコロッと逝かせてほしいといった発言も聞かれるようになりました。

もちろん、そんな安楽死をさせるようなことはできるはずもなく、
また、会話ができ、食事が食べられる人が
そう簡単に亡くなるとも思っていませんでした。

ところがそれから10日くらい経ったある日、
部屋のトイレに行こうとした際に転倒してしまいました。
まだ歩けると思っていた本人にしてみればショックだったようです。

その出来事が失望感に拍車をかけたのでしょうか、
以来、状態は急速に悪化、
結局、その4日後に亡くなってしまいました。
家にはしばらく帰れないとわかってから、たった2週間後のことでした。

妻が退院したら自分も退院すると言っていた頃は、とても元気そうであり、
それから一カ月もしないうちに亡くなるとは思ってもみませんでした。

希望が失望に変わると生命エネルギーが急速に減退し、
人を死に追いやるまでになるということを
改めて思い知らされた気がしました。

いかに希望や心を支える存在が大切なのかを
感じずにはいられない忘れられない体験でした。


異なる視点が大発見を生む

2016年05月31日07:23

「リーマン予想~天才たちの150年の闘い」(DVD)を見ました。
あまりのおもしろさに、つい見入ってしまいました。
なぜならば純粋な数学の分野である整数(素数)の研究が、
宇宙や素粒子の背後にある自然法則を解き明かす
カギになるかも知れないと言うのです!

これは例えて言うならば、心と身体は全く別のものと思っていたら、
実は両者はつながっていることがわかった!というような話です。
数学や物理は苦手という人でも楽しめますので、
まあ、少しだけお付きあい下さい、興奮しますよ…かな?

リーマン予想とは天才数学者リーマンがこの世に送り出した超難問であり、
150年もの間、未だ解かれていません。
詳細は私もわからないので、おおざっぱなイメージで説明すると
素数の並び方の背後に隠された意味を解明するといった問題です。
素数とは1と自分自身でしか割ることができない数のことで
2,3,5,7,11,13,17,19,23…と続きます。

この素数は無限にあり、
現在知られている最大の素数は1700万桁以上の数です。
億が9桁ですから、その途方もない大きさがわかると思います。
ところが素数の並び方には全く規則性がなく、気まぐれのようにしか見えません。
239の次の素数は241と2しか離れていないと思えば
72個も素数に出くわさないところもあり、全く規則性が見つけられないのです。

そのため、素数の現れ方には全く規則性などないと思われていました。
ところがオイラーが素数だけを使った風変わりな数式を考え出しました。
素数×素数÷(素数×素数-1)という式です。
素数が2であれば、2×2÷(2×2-1)=4/3となります。
次の素数3は、3×3÷(3×3-1)=9/8
これを素数に関して全て掛け合わせると、
4/3×9/8×25/24×49/48×…となるわけです。

とびとびの値をとる素数だけを使った式に
意味のある答が出てくるとは誰も思っていませんでした。
ところがそうではありませんでした。
なんと、その答えはπ(パイ、円周率)を二乗したものを6で割った値、
つまりπ×π/6と等しくなったのです!

意味のない素数の集まりが、宇宙で究極の美である円を表す定数である
円周率πと関係していたのです!
オイラーは、素数が単なる気まぐれではなく、
宇宙の法則と繋がっている可能性に初めて気づいた数学者だったのです。

オイラーの発見からおよそ100年後の19世紀半ばに、
リーマンは素数に意味があることをもっと数学的に表現したのでした。
それがゼータ関数で、これはオイラーの式ととてもよく似ています。
この関数を立体的なグラフに描き、そのグラフの高さがゼロになる
ゼロ点の位置を調べたのです。

当初の予想では、素数の並びが不規則なのだから、
その不規則な素数によってできたゼータ関数のゼロ点も
バラバラだと思われました。
ところが調べてみると、
ゼロ点が一直線上に並んでいそうだということに気づいたのでした。

そこでリーマンは次のような予想をたてました。
「ゼータ関数の非自明なゼロ点はすべて一直線上にあるはずだ」
これが、有名なリーマン予想です。
これは素数の並びには意味があるのか?という問いを、
全てのゼロ点は一直線上にあるのか?という
数学的な問題に焼き直したものでした。

この数学上の予想が正しいことが証明されると、
素数に理想的で完璧な調和が存在することが証明されることになるのです。

その後、多くの天才数学者がこの問題に取り組みました。
ところが今現在に至るまで、誰一人としてこのリーマン予想を
証明した人はいません。
それどころか、統合失調症を発症したり自殺したりしてしまった
数学者までもが現れました。

コンピューターの原型を作ったと言われるアラン・チューリングも
リーマン予想に取り組んだ一人でした。
もっとも彼の場合は、直線上にはないゼロ点を見つけることで
リーマン予想は間違っていることを示そうと考えていました。
計算機を駆使して1000個以上のゼロ点を調べましたが、
その全てが直線上にあることがわかり、
結局、彼のもくろみは失敗に終わりました。

ところが、1972年にこのリーマン予想に
新たな視点を持ち込む出会いがあったのです。
それが素粒子物理学のフリーマン・ダイソン博士と
数学者のニュー・モンゴメリー博士の出会いでした。

研究所の1階のラウンジでお茶を飲みながら休憩していたダイソン博士に、
たまたま研究所を訪れていたモンゴメリー博士の友人が
彼を紹介したのでした。
一人は素粒子物理学者であり、方や整数論が専門の数学者ですから、
お互いのことには最初から興味がありませんでした。

社交辞令としてダイソン博士が
「どんな研究をしているんですか」と尋ねたところ、
モンゴメリー博士は自分が今行っている研究について話し始めました。
モンゴメリー博士は、ゼロ点の間隔の現れ方に興味を持っており、
それを表す数式を見つけていたのです。
その式を見たダイソン博士は驚きと興奮のあまり、声が出ませんでした。
なんと、その式はダイソン博士が見つけた
原子核のエネルギーの間隔を表す数式とそっくりだったのです!

自然界の構成要素である原子、
その中心にある原子核のエネルギーは一定ではなく、
とびとびの値を取ることが物理学の世界では知られていました。
そのとびとびの値とゼロ点の位置の値の数式がそっくりなのです!
二人の出会いは、素数という数学の世界と素粒子という現実の世界に
関連があることが発見された瞬間だったのです。
このことは、もしもリーマン予想が実証されたならば、
大宇宙や素粒子の背後にある自然法則が明らかになるかもしれない
ということを意味しているのです。
素数は、神が創造した自然界を理解するカギなのです。

ひとつの問題を解く場合、
全く異なる分野の、全く異なる視点が、
解決の糸口になることがよくあります。
同じものを違った視点から見ることによって
今まで見えなかったものが見えてくるのです。

このDVDを見て、私はそのことを再確認させられました。
そして改めて、全ては繋がっているという思いを強くしました。
皆さんはいかがでしょうか?


テーマ : モノの見方、考え方。
ジャンル : 心と身体

面白い?患者さん十人十色

2016年05月08日05:42

患者さんと話をしていると、
この患者さんは面白い!と思える人が時々います。

先日、90歳を過ぎた肺がんの患者さんが外来に来ました。
とても陽気で元気そうに見える患者さんでした。
彼の話が面白かったんです。

「私は90歳までたばこを吸っていたんですが、
みんなから言われたもんで、1年間禁煙したんです。
そしたら検診でひっかかり、検査をすると肺がんだと言われました。
禁煙したら肺がんになったので、それだったら吸ってやれと思い、
その日からまたたばこを吸い始めました」

禁煙したら肺がんになったので、また吸い始めたという話を聞いて、
私も思わず笑ってしまいました。
この患者さんは、人間はいつか死ぬんだから、もう治療はせん、
あとは好きなことやって死にますわ、と言いながら、
外来をあとにしました。

また、こんな患者さんもいました。
40代の卵巣がんの女性でしたが、
医者からは手術や抗がん剤を強く勧められましたが、
子供を産みたいという思いを捨てきれず、
ずっと手術や抗がん剤治療を拒んできました。

しかし次第に状況が悪化、がんが全身に広がり、
すでに治療ができるような状態ではなくなってしまいました。
そのため、今後は緩和ケアで診てもらって下さいと言われ、
緩和ケアのある病院をいくつか受診したのですが、
彼女は、まだあきらめたくないという思いを強く持っており、
体力が回復したら、また治療を受けたいと言ったそうです。

そんなことを言ったせいか、
どこの緩和ケア病棟も受け入れてもらえなかったようでした。
一緒に来ていたご主人が、
「本人の気持ちが前向きなので緩和ケア病棟への入院は断れました」
と言っていました。

これも面白い話なのですが、笑うに笑えない話でもありました。
もう死んでもいいですとあきらめている人の入院は受け入れられるのに、
まだ生き続けたいという希望や前向きな気持ちを持っている患者さんは
緩和ケア病棟への入院を断られてしまうというのは、
患者さんの思いを大切にするという緩和ケアの理想とは裏腹に、
結局は緩和ケアも医療者の都合を最優先するものなのだなと、
その時はちょっとがっかりしました。

また、こんな患者さんもいました。
彼は食道がんの末期で、気管と食道にトンネルができてしまい、
食べたものが気管支に流れこんでしまうため、
よく誤嚥性肺炎を起こしていました。

最初は内科で入院していたのですが、
そこでは当然のごとく絶飲食になってしまいます。
本人は食べたがるのですが、また肺炎を起こすと命取りになると言われ
主治医は飲食を許可してくれなかったそうですが、
あまりに食べさせろと言うので、主治医も匙を投げ、
それならば、もう緩和ケア病棟に行って下さいということになり、
うちの緩和ケア病棟に入院することになりました。

こちらに来てからは、本人の思うように飲食をしてもらっていましたが、
すぐさま誤嚥性肺炎を起こすかと思いきや、
特に問題なく過ごせていました。

1ヶ月半が経った頃に突然、食事が喉に詰まるようになったと言い、
以前も同様な症状が出現したときには、
胃カメラを入れて食道を広げてもらったら通るようになったというので、
急きょ内科の先生にお願いしてカメラをしてもらうことにしました。

胃カメラを入れると、食道には食べ物のカスが残っており、
その横には気管に通じるトンネルがはっきりと認められました。
念のため造影剤を入れてレントゲンを撮ってみると、
造影剤が食道から気管に流れ込んでいるのがはっきりと写っていました。
そのため、食道を広げるどころではないと判断した先生は、
何も処置をせずにそのまま胃カメラを終了しました。

結局、食道拡張術ができないまま病室にもどってきたのですが、
その直後から、食事が食べられるようになったと言って、
また以前のようにおいしく食事をし始めるではありませんか。
これにはちょっと驚きました。

食道の詰まりを改善させるような処置は何もせず、
おまけに誤嚥性肺炎を起こすのが当たり前の状況だったのに、
なぜかまた食べられるようになり、
それから1ヶ月もの間、普通に過ごしていました。
最後は知らない間にスーッと亡くなっていました。

色々と面白い患者さんはいますが、
そのような患者さんは皆さん個性的です。
医者の言うことをおとなしく聞く患者さんよりも
自分の主張を曲げないちょっとわがままな患者さんの方が、
もしかしたら幸せなのかも知れませんね。
このような患者さんたちに会う度に、私はそう思います。


プロフィール

Author:黒丸尊治
もともと心療内科医でしたが、縁あって今は緩和ケア医として仕事をしています。もともと、コミュニケーションや「心の治癒力」に大変興味をもっており、今はホリスティック医学にもかかわっています。どちらかというと、のんびり屋でマイペースです。あまり人と同じことをしたくないという、天の邪鬼なところあり。
ホリスティックコミュニケーション実践セミナーHPはこちら。
http://holicommu.web.fc2.com

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